1. 序文
2. 稲作農業大規模化の先駆者「大潟村」
3. 大潟村の現状
3-1.経営状態
3-2.生産効率
3-2-1.全国との比較
3-2-2.大潟村内の規模による比較
4. 今後の大規模化の可能性
4-1.促進要因
4-2.阻害要因
5.大規模化とスケールメリット
5-1.スケールメリットを阻む「作期」
5-2.生産性向上を阻む農機具の稼働率
5-3.まとめ
6.高付加価値米輸出の可能性
6-1.市場
6-2.日本農家による現地生産との競合
7.我が国農政のとるべき道
1.序文
アベノミクスの成長戦略の1つとして、農業分野が取り上げられている。稲作農業に関するその具体的な内容は次の通りである。
* 農地集積バンク構想による規模の効果の追求
* 農業、農村全体の所得:今後10年で倍増
国の食糧・農業・農村基本計画では、2005年にすでに以下の目標を立てている。
生産規模の拡大、低コスト技術体系の導入・普及
*生産性の高い水田農業の確立
*所得面で他産業とそん色のない経営が持続される経営体
*目標とする経営体 大規模化 家族経営:15~25ha
法人経営:34~46ha
集落営農:34~46ha
1人当たり年間所得 600万円~900万円
今回は、規制緩和によって大規模法人企業の参入を容易にし、これを可能にしようとし
たものとみられる。
昭和43年に入植を開始した大潟村は、我が国の大規模化の先駆者であり、その規模は、
上記家族経営:15~25haに相当する。今回の計画は、大潟村の規模を倍近く拡大して、スケールメリットを狙おうとしているものと解される。
そこで本論では、先ず大潟村の経営実態、生産効率を把握し、さらにこれを拡大経営したとき得られるスケールメリットについてその可能性を検証する。
2.稲作農業大規模化の先駆者「大潟村」
稲作農業の大規模化を追求した先例に八郎潟を干拓して農地化した大潟村がある。
昭和43年の設立当初、
* 1経営体の経営総面積は約15ha(当時の平均値:2ha以下)
* 圃場1枚の大きさ140m×90m≒1.25ha(当時の平均値:0.1ha)
圃場1枚の大きさは、野球場、サッカー場を想定すれば分かるが、従来の我が国の例から見れば型破りの大きさである。その圃場1枚1枚はいずれも長方形で、1か所に何枚も集まっており、作業効率からみて、極めて好条件である。
3.大潟村の現状
3-1.経営状態
表-1 10経営体の平均経営状況 (単位:千円)
平成21年 平成22年 平成23年 平成24年
コメ販売 24,721 19,180 21,463 26,241
畑作物等販売他 3,881 3,785 3,169 3,800
制度交付金 4,470 6,407 9,088 6,481
粗収入合計 33,072 29,372 33,720 36,522
種苗・肥料等諸材料 3,131 3,247 3,517 3,410
農機具 3,870 4,478 5,070 5,204
建物・光熱賃借料等 5,041 5,187 5,715 6,701
その他 4,072 5,265 5,017 4,864
経営費合計 16,114 18,177 19,318 20,180
所得= 粗収入-経営費 16,958 11,195 14,402 16,343
所得-制度交付金 12,488 4,788 5,314 9,861
出所:八郎潟中央干拓地入植農家・経営調査報告書 大潟村、大潟村農業協同組合
表-1は、25ha以上の農地を経営する3経営体、15ha前後を経営する7経営体合計10経営体の平均経営状況を示したものである。
これらの経営体は、いずれも当主、妻、息子、父親等の家族経営・専業農家であり、経営に参加する人数(2.5人~3人)から考えて、制度交付金を差し引くと、サラリーマンの平均年所得440万円(平成20年~24年の平均)よりもはるかに少ない。さらに年によるバラツキが大きい。
今後更なる大規模化、技術開発等によって生産性を上げなければ、稲作経営は厳しい状況にあることを示している。
今回ヒヤリングを行った農家はいずれも総面積25ha以上、単位圃場面積も2.5ha以上
の優良農家であるが、食用米(コマチ、標準米)以外に加工用米(醸造用、もち米)、大豆、野菜等も作っており、加工用米の収益が最も良いとのことである。また加工用米は、植える前から量、金額の売買契約を行っており、国もこれを補助しているので、極めて安定した収入源になっている。標準米のみの生産では、如何に経営が厳しいかを物語っている。
3-2.大潟村の生産効率
注)生産効率を検討する前に
稲作農業では、単位農地面積当たりの収穫量が重要なカギを握る。この値は単収(単位収穫量=土地生産性)と呼ばれ、一般的に地形、単位圃場面積等には依存せず、品種、日照時間等に依存し、したがって規模の効果はないものと考えられている。
3-2-1.大潟村と全国との比較
先ず大潟村と全国の比較を行う。表-3は、水稲10a当たりの生産費の推移を全国との対比で示したものである。
表-3 大潟村水稲10a当たりの生産費と全国比の推移
昭 和 50年 昭 和 60年 平 成 15年 平 成 20年 平 成 21年 平 成 22年 平 成 23年
大潟村 58 91 104 101 98 103 105
全 国 78 137 122 121 121 120 119
対全国比% 74 66 83 81 81 86 88
単位:千円/10a
出所:八郎潟中央干拓地入植農家・経営調査報告書 大潟村、大潟村農業協同組合
大規模農場の大潟村に規模の効果が出ていることが読み取れるが、次第に両者の差が小さくなっている。これは、稲作技術全般の指導が行き渡って、規模の効果以外の要素が効いて来たものと解される。
3-2-2.大潟村内の規模による比較
表-4 水稲10当たりの規模別生産費比較
平均規模層 大規模層
変動費 21,328 26,249
建物・土地改良費等 12,337 10,185
賃借料等 16,286 18,477
農機具費 27,494 20,699
労働費 35,415 38,986
費用合計 112,860 114,566
単位:円
出所:八郎潟中央干拓地入植農家・経営調査報告書 大潟村、大潟村農業協同組合
表-4は、大潟村における大規模経営体と平均経営体の、水稲10a当たりの生産費を比較したものである。大規模層は25ha以上3経営体の平均値、平均規模層は15ha前後7経営体の平均値になっている。
この比較から分かるように、経営総面積の大きさでは、規模の効果は殆どないと言ってよい。因みに圃場1枚の大きさは、いずれも同じ値である。
この値は平成24年のものであるが、平成23年値もほとんど変わりはない。
しかし、表-4を詳細に見ると、大規模層は変動費が平均規模層より大きく、農機具費の値が小さくなっていることである。これは、大規模層で加工米等の高付加価値米のウエイトが高くなっていることにあるものとみられ、今後標準米のウエイトを高くした場合を想定すれば、農機具費の小さいことが効いて、現状では規模の効果はある程度あるものと見ることができる。
4.今後の大規模化の可能性
注)大規模化を考える際の留意点
稲作経営の大規模化には2つの側面がある。1つは総面積の大規模化であり、他の1つは、圃場1枚当たりの大規模化である。
農機の大型化による省力化、農作業の効率化を考えるとき、重要なのは圃場1枚当たりの大規模化である。その理由は、農機の操作上、畦、水路、農道等によって遮られずに、また長い直線距離を運転することが可能になるからである。
4-1.促進要因
促進要因としては、まだその技術が確立されてはいないが、種もみを圃場に機械で直接播く直播方式がある。従来の田植機は、苗の積載量が増すと、(圃場が軟質であるため)その重量に耐えられず、単位圃場面積を大きくしても農機の大規模化に限界があり、したがって大きな省力化にも繋がらなかった。まだ実験段階ではあるが、直播方式を導入することにより、この問題は解決するものとみられる。
4-2.阻害要因
【地形】
最も大きな阻害要因は地形である。水平で長方形の大型単位圃場(1枚田)が取れる地形が大量に必要になる。1枚、1枚の圃場が野球場、サッカー場以上の規模の土地を、必要量の何割確保することが可能だろうか。しかもこれらの圃場がある程度集約して存在する必要がある。
【水平性の維持】
例えそのような土地を確保できたとしても、あまりにも単位圃場が広大になると、圃場
の水平性の維持が困難になる。
稲の特性として、その育成中のある期間は、稲を一定の水深中に保つ必要がある。当初圃
場を整備した際水平に造成するが、年々土壌の変化が起きて、部分的、全面的に傾きが生ず
る。これをレベラーという機器で修正するが、機器の費用(1台700万円~1千万円)が安
価ではなく、運用・管理の作業が煩雑で、労力とともにコストがかかるので、規模拡大には
限界がある。
【各種規制】
農業委員会等の規制は、阻害要因の最たるものであるが、ここでは、すべての規制がなく
なったものとして、大規模化の効果を検討している。
5.大規模化とスケールメリット
我が国の農業は、小規模経営の中で技術革新によってコメの品質改良、省力化を果たして来たため、他の産業のような大規模化による省力化、量産化による産性向上などのプロセスを経なかった。そこで今、経営大規模化によるスケールメリットを追求しようとしている。
しかし、「単収」(土地生産性)は、先にも述べたように、規模に無関係である。稲作農業にはそれ以外に、固有のスケールメリットを阻む要因がある。それは、「作期」である。またそれに伴う農機具の低稼働率が、生産性の向上を阻む。
5-1.スケールメリットを阻む「作期」
田植え時期は、温度、日照時間等の微妙な条件が必要であり、この選択を間違うと収穫量、品質等に差が出る。これを田植えの「作期」と言う。短い最適な「作期」を選択して、その期間に田植えを完了する必要がある。他の農作業についても同様である。
「作期」に絡めて次のような事例がある。
たとえば、「大潟村の複数の経営体が協業して(さらに大規模化して)農機を持ち合うことはできないか。」答えは、「難しい」。
上述したように、稲作には「作期」がある。いずれの経営体も最適の「作期」に農機を動かしたいと考えるので、農機の奪い合いになる。結局農機を増やさざるを得ない。
同様のことは、1経営体が規模を増やしたとき、大型農機を用いるより、汎用型の数を増やし、人手も増やすことになる。
このことは、農機には適正規模があり、いたずらに農地の大規模化に合わせて大型農機を導入しても、効率化にはつながらない。スケールメリットに限界があることを意味している。大潟村の現状を見ると、現在の大潟村の規模が一つの限界一歩手前で、国の目指す2倍に及ぶ大規模化は無意味だと考えられる。
5-2.生産性を阻む農機具の稼働率
稲作農業においては、「作期」に絡んで、農機具の稼働率が極めて低くなる。
表-5 大潟村における農機の稼働時間
平成23年 平成24年
最 短 最 長 平 均 最 短 最 長 平 均
トラクター 82 352 205 138 306 232
田植機 32 86 57 40 100 62
コンバイン 52 143 90 64 155 97
単位:時間
出所:八郎潟中央干拓地入植農家・経営調査報告書 大潟村、大潟村農業協同組合
表-5は、大潟村の複数の経営体を抽出し、トラクター、田植機、コンバインの稼働時間を示したものである。統計的な意味はないが、おおよその稼働時間が推測できる。
稼働時間にばらつきがあるのは、経営体によって水稲作付面積に差があることによるが、注目すべきは、田植機、コンバインなどは、最長で3週間程度しか稼働していないことである。年52週の内、僅か3週間しか稼働していない。トラクターは用途が多岐にわたるので、田植機、コンバインよりは長時間稼働している。
このように稼働率が低いのは、稲作に「作期(季)」があるからである。その期間のみ田植機は稼働する。他の農機についても同様である。したがって農機の稼働率は低く、資本生産性の低下を招いている。
これを解決するために、品種を組み合わせるなどの各種方策が考えられているが、適当な解決策はない。
5-3.まとめ
大潟村は現状でも制度交付金を受けなければ、一人当たりの年間所得はサラリーマンの平均所得に及ばない。今後さらに大規模化を進めても、「作期」、「農機の低稼働率」により、スケールメリットは生まれないと解するのが妥当である。
すなわち、標準米を生産している限り、成長産業たり得ない。ましてや海外から安価な米が輸入されれば、存続すら疑われる。
6.高付加価値米輸出の可能性
残された道は、単価アップである(注)。標準米での単価アップは上記理由で無理なので
有機米等のこだわり米、ブランド米などの差別可能な米に依存することになる。
(注)産業成長論的に見て、いずれの産業も当初は量産効果により、単価を下げる方向に
進むが、経済の成熟に伴って、可能な限り、知識集約(ブランド化、ファッション化)、技
術集約による単価アップで生産性をアップさせている。
日本のブランド米は、東南アジアの富裕層に人気があり、台湾等への輸出量は、表-6
のようになっている。
表-6 日本産精米輸出量の推移
2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
数量 金額 数量 金額 数量 金額 数量 金額 数量 金額
台 湾 413 169 593 161 450 175 453 168 333 115
香 港 99 57 155 74 218 119 341 172 481 206
シンガポール 63 35 63 40 92 48 173 81 185 79
中 国 0 0 2 7 不明 不明 26 49 17 28
合 計 634 320 967 427 940 527 1,294 641 1,312 545
資料:貿易統計(援助用は除く) 単位:トン、百万円
価格も極めて高価格で、台湾:600~1,300円/Kg、香港:800~1,500円/Kg、シンガ
ポール:750~1,000円/Kg、中国:1,400円~1,500円/Kgとなっており、日本の小売価
格350~400円/Kgに比べて2倍以上である。
したがって、多くの生産者、商社が売り込みを図り、政府も力を入れているようである。
稲のブランド品等を輸出するに際して、その成長を占うに、2つの観点がある。
6-1.市場
日本のブランド米は、その味覚の良さからアジアで非常に人気が高い。しかし、現在富裕層に高価格で売れているコメが、経済的中間層に普及する状況は想像し難い。
周知のように、アジア諸国の経済成熟度は、日本より低く、中間層の所得も日本よりはるか
に低位にある。したがって、日本ですらブランド米の需要量は標準米の約1割という状況からみて、大きな需要増は望めないと考えるのが妥当である。
6-2.日本農家による現地生産との競合
農業生産法人・有限会社「新撰組」は、愛知県知多半島で約80haの稲作を行っているが、2010年からタイに進出、コシヒカリの試験的生産を始めた。すでに一定の成功をおさめ、今後数年以内に8千ha(大潟村干拓地の約半分)のコシヒカリ生産を始める予定にしている。最終目的は、日本に逆輸入することにある。価格競争力からみて、日本産に分があるとは言えない。
結論的にいうと、6-1.6-2.の結果からみて、コシヒカリの輸出増に期待していて
も日本の農業は成長しない。
7.我が国農政のとるべき道
日本農家が海外に進出して現地で生産したコシヒカリが価格的に優位に立ち、日本産コ
シヒカリを凌駕する可能性もあるが、味覚など他の要因で日本産コシヒカリも残り、標準
米約9割、ブランド米等高付加価値米約1割の生産バランスが続くことになるものとみら
れる。そのような状態でも、規模を拡大した農業経営体は、国の目標通りの所得を維持する
ことは、先にも述べたとおり不可能である。
ここで問題になるのは、規制緩和によって参入を試みる法人企業の存在である。今回の
ヒヤリングによれば、農業専門家の指導を得れば、参入そのものは難しいことではないが、
経営が思わしくなくなったとき、簡単に稲作放棄をする可能性のあることだという。一旦
放置された農地の回復は困難だからである。
次いで予想されることは、稲作農業が産業成長論的に見て、製品の高付加価値化による
単価アップが難しい劣後産業であること。いずれ、優位な産業への労働力移動が起こり、綿
紡績業、製紙産業のように衰退の運命をたどらざるを得ない。
結論として言えることは、「稲作農業は規制緩和をしないから成長しないのではなく、規
制緩和を完全に行っても成長産業ではないことを肝に銘じるべきだ。」ということである。
このような状態では、国は次の2点を重点課題として農業政策を考えるべきである。
① 食糧の安全保障
② 農業を中心とする緑の環境保全
① について考えられる1つの方向は、国と農業経営体との契約販売。毎年、農業経営体
と国との間で、一定量、一定価格の売買契約を締結することである。
人口1億、500万トンの生産量を想定し、国は買い入れたコメを輸入価格と競合可能な価格で売れば、1兆円余の負担で済み、財政負担の額から見て現状と大差はない。
先進国の農業所得に占める国の交付金(直接支払い)の割合は(注)、アメリカ26.4%(小麦62.4%)、フランス90.2%、イギリス95.2%、スイス94.5%で、農家は一種の国家公務員になっている。このことは、先進国においては農業が産業成長論的に劣位産業であるため、食の安全保障的観点から国が保障せざるを得ないことを意味しているものと考えることができる。
(注)「よくわかるTPP48のまちがい:鈴木宜弘、鈴木順子著、農村漁村文化協会」による。
我が国の有識者、専門家と言われる人も、農業はその特性から、短期的(10年以内)にも長期的(その後)にも重要産業ではあるが、成長産業ではないことを認識すべきである。
謝辞:今回の調査では、秋田県大潟村産業建設課および、経営体の方々に資料の提供、実態の説明、圃場への案内等一方ならぬお世話になったことを深く感謝する。
また、本論のまとめに当たって議論頂いた諸氏にも謝意を表したい。