2015年02月16日

「地方創生」の第一歩は「食の安全保障」を目的として「大規模農業改革」を行うべきである - 吉田不二夫

目   次
要 旨
1.「食の安全保障」は先進国の重要課題
 1-1.稲作農業は衰退産業である
 1-2.放置すればコメの輸入は増大する 
 1-3.主食を担う農業の所得補償は先進国の常識
2.国のとるべき方向
 2-1.現状維持の弥縫策は農家と農地を崩壊させる
 2-2.長期的展望の大規模農地改革・農業改革が必要
 2-3.大潟村の示唆する「地方創生」の道
3.第三の矢で先ずなすべきは「地方創生」と「農業改革」
 3-1.「地方創生」と「農業改革」は同義語
 3-2.農業特区の設定と農業コンプレックスの構築
 3-3.農業コンプレックスに必要な規模と経常費用
 3-4.ボランティアの活用と支援
参考文献
付 記:稲作農業成長の可能性
参考資料:農業の6次産業化、2次産業化


 
要 旨
稲作農業は、2次産業、3次産業に比して生産性の大幅な上昇が望めない劣後産業であり、現在はコメ余りの状態にあるが、放置すれば生産に携わる農家がなくなり、いずれ「食の安全保障」が危うくなる。先進国においてはいずれの国においても状況は同じで、農業所得に対しては大規模な補償を行っている。
国は「食の安全保障」を守るために、彌縫的な対策をやめて、長期的展望に基づいた大規模農
地改革・農業改革を行うことが必要である。弥縫的方策では短期的には繕えるが、長期的には不可能である。
「食の安全保障」という認識欠如のため大規模改革が埒外に置かれているとすれば、必ず将来に禍根を残す。
一方、人口の減少に伴う限界部落を救済するために、「地方創生」が大きな課題になっているが、
創生すべき所は農山村であり、「地方創生」と「農業改革」は同義語である。
現在進められている農協改革を意義あるものにするためにも、第二、第三の大潟村を各地に整
備して、稲作農業と他の付加価値の高い農産品とを組み合わせた農業、「農業コンプレックス」の構築を支援すべきである。このような取り組みの中で、農業全体としても成長産業になることが期待できる。農業は共稼ぎ、子供の養育にも適しているので、人口増にもつながる。

1.「食の安全保障」は先進国の重要課題
アベノミクスでは、農業を成長産業にすることが1つの課題になっている。この際留意すべきは、「稲作農業」と「野菜、果実等他の農業分野」とを分けて考える必要があることだ。後者には大きな成長が期待できるが、稲作農業は産業の生産性理論から見て劣後産業である。後述するように、規制緩和を行って大規模化し、コストダウンを図っても成長産業たり得ない。現在はコメ余り状態にあるが、放置すれば小規模農家は崩壊し、大規模法人企業の参入も、リスクの大きいこの分野へは望めないので、いずれ「食の安全保障」が脅かされる可能性があり、何らかの抜本策が必要になる。日本ではコメであるが、主食を担う小麦のような農業分野では「食の安全保障」の対象としていずれの先進国においても重要課題として取り組まれているのである。
この「食の安全保障」と現在最大の課題の1つになっている「地方創生」を共通課題として取り組むべきである。
 
1-1.稲作農業は衰退産業である
周知のように、あらゆる産業において、大規模化、労働集約、機械化等1人当たり物量生産の増加と価格の低減を図る「生産革命」は重要な要素であるが、技術集約、情報集約(ブランド化)等による生産品の単価上昇すなわち「製品革命」が行わなければ、いずれの国においても、経済が成熟化すると劣後産業として衰退して行く。
わが国でも、紡績業、製紙業等の素材産業は、劣後産業であったが故に、衰退の道を辿ったことは周知の事実である。これは、産業の高付加価値化(=生産性向上)に限界が生ずると、人件費の低廉な途上国からの輸入が増加し、また国内では、高付加価値産業への労働力移動が起こるからである。
翻って稲作農業を見るに、昭和40年代に、八郎潟の干拓事業を通じて厳選された有能な農業者が参入し、大規模な「生産革命」を狙ったが、コメ余り現象に直面し、中途半端な状態で目的を中断せざるを得なかった。そのために、現在でもコストダウン等、「生産革命」の余地は残っている。しかしこの経験を通じて、以下に示すように稲作農業が「生産革命」になじまない要素が強い産業であることが分かった。(参考文献1)
① 耕作、田植え、稲刈りなどの時期は適正期が短く、農機の稼働率が年間3週間程度と極め
   て短いこと。
② 1枚の水田が広いほど機械効率は上がるが、水田は水位を保つために水平にすることが必
  要であり、1枚当たりの広さには限界があること。
③ 単位面積当たりの収穫率(単収)は、天候、地形等に依存する割合が高く、ほぼ限界に来て
   いること。
稲作農業は「生産革命」においてこのように、従来衰退した他産業に比して劣る点こそあれ、特に優位な点は認められない。一方、平成22年の農林水産統計によれば、ブランド米の平均価格は標準米の2~3割高であるが、この程度の価格差では、量産品としての役割を果たすべきコメの質、機能等を高度化してその価格を上げることが難しい産業でもある。要するに単価が上げられない。稲作農業が劣後産業だと言わざるを得ない所以である。
さらに付言すれば、大潟村は現在でも大規模経営を行い、経営管理も行き届いているが、所得補償がなければ、増田レポートに言うような豊かな地域ではない。
すなわち、大潟村においては2.5人~3人が専業する農家の平成24年の年間所得を見ると、1,630万円余(540万円/人~650万円/人)で、サラリーマンの1人当たり年間平均所得440万円(平成20年~24年)より多いが、国から給付される制度交付金640万円余を差し引くと986万円(330万円/人~394万円/人)となり、サラリーマンの年収より低い。(参考文献1)

1-2.放置すればコメの輸入は増大する
周知のように、わが国の主食用コメは短粒種で、世界で生産するコメの8割は長粒種である。しかし、日本がコメの輸出対象国になれば、東南アジアの国々は、それに合わせた短粒種を生産するようになる。現に日本の企業がタイで、大潟村の3/4の広さに相当する8千haの圃場でコシヒカリを生産し、日本への輸出を企図している。(参考文献4)
一方、今回のTPP交渉でアメリカのコメの輸入が増大すると、年間100万トンを超える可能性もあり、(日本の年間生産量約800万トン)軍事力に加えて「食の安全保障」の部分でもアメリカにバーゲニングパワーを握られる怖れがある。現在アメリカのコメは主として加工用食品の原料に供されているが、カリフォルニアの短粒種の味覚は、十分日本人の要求を満たすもので、主食用に転換される可能性も十分あり得る。農水省の推計によれば、アメリカ産のコメの価格は日本価格の1/4だと見ている。安いコメが入り、日本の農家を潰してさらに輸入量が増える悪循環を断ち切るため、アメリカ同様、国内補償がWTOに抵触しないことに便乗して、日本の稲作農家に対するアメリカ以上の財政負担を極力推進すべきである。

1-3.主食を担う農業の所得補償は先進国の常識
 生産性という観点からすると、主食の原料を大量に生産する農業は、いずれの先進国においても劣後産業である。「食の安全保障」のためには、農業に対して何らかの保護政策を執ることによって、存続に努めるのが世界の趨勢である。
(参考文献2)
農産品の大量輸出国であるアメリカも、ブッシュ大統領の次の発言がそれを裏付けている。
 「It’s a national security interests to be self-sufficient in food. It’s a luxury that you’ve always taken for granted here in this country. Can you imagine a country that was unable to grow enough food to feed the people? It would be a nation that would be subject to international pressure. It would be a nation at risk.
(参考文献2)
少し旧聞ではあるが、その考え方は基本的に変わらず、アメリカでは国が農業所得に対して、小麦:62.4%、トウモロコシ:44.1%、大豆:47.9%、コメ:58.2%の財政負担(直接支払)をしている。アメリカは、「食の安全保障」という名目で国が支援を行い、余剰農産品を外国に押し付けているのである。TTP交渉を見れば分かる。
フランス、イギリス、スイスなど多くのヨーロッパの国々でも、農業所得の90%以上が財政負担で賄われている。これは、これらの国が食の安全保障に鑑みて行っている国策である。(参考文献4)


2.国のとるべき方向
国は、稲作農業に対していかなる対策を執るべきか?選択肢は2つある。1つは、戸別所得補償のような弥縫策を今後も続けること。他の1つは、抜本策を講じることである。

2-1.現状維持の弥縫策は、農地と農家を崩壊させる
戸別所得補償のような弥縫策を執るにしても、稲作の現状を見ると、1ha以下の小規模農家が7割強、これらのすべてが農業所得は赤字で、国家にとって大きな負担になっている。中でも高齢者(65歳以上が41%、70歳以上が31%)・兼業農家が年々増加、耕作放棄地の増加、減反政策、畑作への転作等々実態を把握することすら困難な状況にあり、長期的な施策は不可能に近い。(参考文献5)しかも、一旦稲作を止めた圃場の再整備は極めて困難である。農協改革を行った結果がジリ貧農業になったのでは、大きな攻めを負わねばならない。
コメ余りを好機として、農地が完全に崩壊する前に、規模の効果の追求を実行し、農協改革、農地再編、農業改革を併せて行うべきである。

2-2.長期的展望の大規模農地改革・農業改革が必要
国はすでに2005年には稲作農業の大規模化と所得面での向上を企図した長期計画を立てている。またアベノミクスの成長戦略の1つとしても、「農地集積バンク構想」による規模の効果の追求、「農業、農村全体の所得:今後10年で倍増」を目指している。農協改革を有効にするためにもこの計画を「食の安全保障」を明確な目標として実行に移すべきである。
先にも述べたように、稲作農業は大規模化しても劣後産業としての宿命は逃れられない。しかし大規模化すれば、国全体としては、現在より大幅なコストダウンは期待できる。また「食の安全保障」のためにも、計画的な生産体制を構築すべきである。かつて増産のために八郎潟を干拓し、コメ余りの為に転作を余儀なくされ、その後の冷害に際しては一転緊急輸入を行ったコメ政策の誤謬を再度犯さないためにも・・。

2-3.大潟村の示唆する「地方創生」の道
ところで大潟村はなぜ増田レポートで反消滅型のモデル地域、「地方創生」のモデル地区になったのか?先にも述べたように、いずれの農家も大規模稲作経営を行っているが、国の補償がなければ決して豊かな地域ではない。しかし、地方創生のモデル地区として目標にすべき点を多く持っているからだと推察される。大潟村はその方向を示唆してくれているのである。
増田レポートでも触れているが、消滅村落の逆の意味で注目を浴びている大潟村は、消滅とは逆の傾向を示す、20才~39才の女性転入者数、出生率の高い地域を評価したベスト10で2位の地位にある。その理由として、豊かな農村生活が挙げられている。(参考文献6)
具体的に言うと、農家一戸の平均年収が1,600万円で、機械化によりかつての過酷な稲作労働もなく、ビニールハウスなどでの野菜・果実つくりなど農業に憧れて来る嫁入り女性の数が増えたものと推測されている。
さらに付言すれば、当地では、基盤事業としての食用米(コマチ、標準米)以外に加工用米(醸造用、もち米)、大豆、野菜等も作っており、加工用米の収益が最も良い。また加工用米、野菜類は、植える前から量、金額の売買契約を行っており、極めて安定した収入源になっている。さらに、工場化農業を視野に入れたハウス栽培、6次産業化等々農業コンプレックスの構築に向けた計画「チャレンジプラン」を策定している。(参考文献7) 

【農業コンプレックス】
売り上げを確保する基盤事業、収益を狙った高付加価値事業、新製品開発事業等事業内容を多様化した農業事業の複合体

 基盤事業の稲作は農繁期が限定的で機械化に助けられて軽労働である。高付加価値事業分野、新規開発事業分野は決して軽労働ではないが夢がある。男女を問わず若者が農業に参加するのは、他の地域の例は知らないが、大潟村の場合この夢の部分だと推察される。大潟村が増田レポートの模範地区になる所以である。

3.第三の矢でまずなすべきは「地方創生」と「農業改革」
地方創生策としては、農業改革以外にも本社機能、工場、IT産業の誘致等々地方の主体性に任せた提案を待つ姿がある。しかし、中小企業の優れた技術は地方に広く存在するものではない。また無から有を生み出すには多大なエネルギーが必要である。国が選択すべき方向は、まず日本の存立基盤をなす「食の安全保障」ではないか。しかも、「地方創生」と「農業改革」は同義語とすら言える。農業には地方に伝統的な技術と蓄積があり、農業が豊かな地場産業となれば、地方は自ずと豊かになる。若者も集まる。

3-1.「地方創生」と「農業改革」は同義語
 日本では、山岳地帯が国土の約70%、農地が約12%を占める。すなわち可住地域の40%が農村であり、しかもこの農村地帯こそが消滅候補地域そのものなのである。アベノミクスが農業成長戦略を画するのもむべなるかなである。しかし、高成長が望める分野にのみ力点を置いて、稲作農業を放置すると、「食の安全保障」がないがしろになる。また、農村にとってもリスクが大きく、経営が不安定にもなる。先にも述べたように「農業コンプレックス」を構築して初めて「食の安全保障」と「地方創生」の両立が達成できるのである。まさに、「地方創生」と「農業改革」は同義語なのである。

3-2.農業特区の設定と「農業コンプレックス」の構築
農業成長戦略としては、国は農業特区を設定し、規制緩和、法人農業の参入等を通じて圃場の大規模化を図り、農業コンプレックス事業を地方創生の目的として財政支援を行う。農業コンプレックスは「食の安全保障」を担保、さらに若者の夢を満たし、高付加価値農業にもつながる。その後特区を拡大し、人口1億人に見合う500億トンのコメを確保すればよい。
 もちろん、ハウス農業→工場農業化、6次産業農業などの高付加価値農業のみを目指すもよいが、稲作のような基盤事業を含む方が、事業として安定し人口の扶養能力も増える。さらに忘れてならないことは、農業は観光資源、環境保全にも大きく資することである。

3-3.「農業コンプレックス」に必要な規模と経常費用
 「農地改革」「圃場整備」のためには多大な費用を必要としよう。これは、国が先に立案した「農地集積バンク構想」で目論見がある筈である。一方、具体的に第2、第3の大潟村を構築するために、その規模と年間の経常費用を推計すると次のようになる。
先ず将来の人口1億人を想定したとき、現在のコメの消費量年平均50kg/人から、500万トンのコメが必要になる。大潟村の稲作農地面積は約12,800haで、1ha当たりの収量は平均6.3トンであるから、500万トンのコメを生産するには、単純計算で大潟村60個分の圃場が必要となる。現実には、ミニ大潟村を各地に順次作ることになろう。1枚の圃場が1ha以上の広さがあり、それらが何枚も集中する場所を確保し、しかも水平であることが望ましい。
一方、大潟村に設定したモデル経営体は、年生産量110トンで、650万円の制度交付金を受けているので、500万トン生産するためには、単純比例計算すると、国全体で約3千億円の交付金が必要となる。これは地方創生費として計上するとして、現在農業者に年間直接支払う戸別所得補償の金額1兆418億円に比べれば4分の1以下である。

3-4.ボランティアの有効活用と支援
 周知のようにわが国のボランティア活動は、阪神淡路地震に端を発する。その後マネージメント
力、参加者の対応力も高まり、行動規範が公正、公平の公的機関、利益指向の企業とは異なる
第三の主体として機能を発揮し始めている。したがって、「地方創生」、「農業改革」のような、目標
が明確に定まらない活動に対しては、有効に機能することが期待できる。
 また最近の世論調査などを見ると、学生を含む若者のボランティア志向が強く、農業に対する関
心も高い。この風潮を生かし、具体的に若者の参加を求めることが必要である。
 受け入れ体制は地方が担うとして、国は、全国規模で「地方創生」、「農業改革」、「ボランティ
ア活動の内容と意義」に関する大キャンペーンを行い、資金的にも地方を支援する必要がある。
ボランティア活動の内容は、観光農園の創出・運用、新しい観光機能の創出、農業に関する学習・教育・研修等々の機能を持ったセンターの運用などなど・・・。さらに医療・福祉・保育等々に広がってもよい。要するに農業を出発点として地方創生につながることならすべて実行してしまうボランティア活動である。呼称は何でもよい。年齢も敢えて制限しない。来る者は拒まずである。

参考文献
1:八郎潟中央干拓地入植農家経営調査報告書(平成24年度)
大潟村、大潟村農業協同組合
2:田中八策 岡本重明 光文社
3:食糧安全保障の確立に向けて 東京大学教授 鈴木宣弘
4:「よくわかるTPP48のまちがい」 鈴木宣弘、木下順子 農山漁村文化協会
5:農林センサス(2010)
6:増田寛也 編著「地方消滅」中公新書
7:大潟村農業チャレンジプラン 大潟村産業建設課
        

付 記
稲作農業成長の可能性
 日本のブランド米は、東南アジアの富裕層に人気があり、小売価格は日本の2倍以上になって
いる。量、金額的に見ると、輸出量の合計は2009年に1,312トン、5億5千万円で、2014年には3
倍を超えている。しかしこれらの国の経済的中間層に大きく普及する状況は想像しがたい。(参考
文献1)
 一方、6次産業化がうまく展開され、最も川上のコメ農業においてもフランス、イタリアの羊毛紡績
(別添参考資料参照)のような付加価値が取れ、しかも量的に伸びれば、成長産業たり得る可能性
はある。
 参考文献1:貿易統計(援助用は除く)


参考資料:農業の2次・6次産業化と問題点
                        
1.農業の6次産業化
 農業の6次産業化とは、和食の世界的受容性の高まりを受けて、1次産業の農家が
農業(1次産業)、加工(2次産業)、小売り・和食の提供(3次産業)の複数の分野、も
しくはすべてに関わろうというものである。 この6次産業化については、世界の羊毛
紡績業界においてその例がある。
 かつて日本の羊毛紡績業界は、産業としての行く末を見極めるため、イギリス、ドイ
ツ、フランス、イタリアの実態調査を行ったことがある。
 イギリスでは、羊毛紡績はすでに衰退期にあったし、ドイツも衰退の兆しが見えてい
た。しかるに、フランス、イタリアではその兆候がない。何故かというのである。実態は、
以下の通りであった。

 フランス、イタリアでは、超一流のファッションデザイナーを抱える企業(3次産業)が、
川上の糸の種類(羊毛、絹、木綿等)、糸を紡ぐ紡績、織布、染色、加工等すべてを
最終製品に合わせて企画、デザインし、作業を指示する。そのようにして完成された
ファッション製品から得られる高い付加価値を、川上企業に再配分する。その結果、フ
ランス、イタリアでは、川上業者も高い利益を得て、産業としての衰退を免れた。それ
に反してイギリス、ドイツ(ドイツは2次産業化までは行った)では、そのような6次産業
化を行わなかったので、経済が成熟化する中で、劣位産業の羊毛産業は衰退の方向
を辿った。

 フランス、イタリアの例は、川下が後方統合を行って全体の価値を高めたもので、換
言すれば川下がいわゆる川上のバリューチェーンを統合した成功例である。
 重要なことは、農業6次産業化の主体は、川下の和食を直接客に提供するサービス
業にあるとの認識を持つことである。その企画に沿って、高付加価値の和食が提供さ
れ、高い付加価値が農家にも再配分されるとき、6次産業化は成功するであろう。川
下企業と川中・川上企業との間には、1次的、単発的取引だけの関係ではなく、特定
のコーディネーターの下に、契約関係に基づく一体化がなされていることが必要であ
る。
 すなわち、農業が成長産業なのではなく、高級な和食産業が成長分野なのであり、
6次産業が成長分野なのである。
 周知のようにフランスでは、ファッションの世界だけではなく、食の世界でもフランス料理は中華料理と並んで著名である。残念ながら、フランス料理の世界で6次産業化が行われているか否かを知る情報は持ち合わせていないが、料理提供業者に対するミシュランの評価システムは、一つの下支えになっているものと思われる。

 このようなフランスの動きを見るとき、ファッション製品にしても、フランス料理にしても、国としての文化をパッケージ化して売りこんでいる様子があることに気が付く。
 ならば、和食の売り込みも、食の提供者である料亭等の調度品、調理器具、食器等々、また「茶の文化」なども含めて、あらゆる関連商品・サービスを日本文化のパッケージとして売り込む仕組み、方式が存在するのではないか。
 さらに敷衍すれば、和食、和風ファッション、遺跡、文化遺産、自然環境等々あらゆる日本文化を組み込んだ日本観光をコーディネートすべきではないか。
 フランスの観光客の年間導入数は国民の数(約6,400万人)より多い。日本は昨年1千万人を超えたところで、今年は2千万にしたいという。彼我の差は極めて大きい。
 問題は、誰が主導権をとってコーディネートするかにあり、最終的には、得られた付加価値を川上産業に如何に再配分するかにある。要は、川上産業から川下産業まで1つのパッケージ型産業になっていることが必要だと考える。
 ミシュランのレストラン評価システムのような仕組みを作るコーディネーター役が必要である。

2.農業の2次産業化
 農業生産を工場で行う動きが加速している。農林水産省、経済産業省でも、植物工場と称し、次のように定義している。
 植物工場は、施設内で植物の生育環境(光、温度、湿度、二酸化炭素濃度、養分、水分等)を制御して、栽培を行う施設園芸の内、環境及び生育のモニタリングを基礎として、高度な環境制御と生育予測を行うことにより、野菜等の植物の周年・計画生産が可能な栽培施設であること。
 植物工場は、2009年に約50カ所であったものが、2012年には127カ所に増えている。
 農業技術と制御技術が融合したこのような農産物の生産過程は、最早1次産業とは言えず、その生産過程を見る限り2次産業である。
 農業が2次産業化することは、生産性の向上を可能にして成長産業たり得る1つの方向である。すなわち、以下に示す4点のメリットがあるからである。
1 気候変動の影響を受けない
2 病原菌防止、害虫駆除に農薬を使わない
3 地域の気候に無関係
4 養液栽培を行うので連作や短期間での養育が可能
現状を見ると、これらの露地栽培品に対するメリットを武器に、ほうれん草、レタス、ト
マト等々の生産物を、高額品はデパートに、また普及品はコンビニ、スーパー、加工業務用に納品し、それなりの成果を上げている。

 一方、長期的に見るといくつかの不安要因がある。
最大の課題は、初期投資が大きいこと。小規模で数千万円、平均規模で1億円以上、大規模化すればさらに大きくなる。事業での先行きが十分見通せない領域での初期投資の大きさは、参入者に体力を求める。

 次いでの不安要因は、事業そのものの成長性である。
 原則論を言うと、あらゆる産業について、日本のように経済が成熟した国において今後も経済成長が続くとすると、成長分野として残るためには、製品の機能、品質を向上させて価格を上げてもユーザーが受け入れてくれることが必要条件となる。低機能、低品質の普及品は、後発国の輸入品で賄われるからである。同様のことは、2次産業化した農業についても言える。
 さらに産業間の競争も考慮に入れねばならない。2次産業、3次産業を含めて、他業種間であっても、1人当たり生産性の低い業種は、長期的に見て他業種への労働力移動を考えねばならない。特に工場農業の現場は人手が多くかかっているので、省力化が大きな課題になる。
 このような状況を背景にして、多額な投資に見合った価格設定がユーザーに受け容れられるものになるだろうか。
 以上のことを前提とすると、採るべき方策は以下の3つに集約される。
① 6次産業化に組み込まれる。
② ブランド化して、国内、海外の富裕層をターゲットにする。
③ 2次産業の中で、パッケージ型産業になる。
① の6次産業化については、すでに述べたとおりである。
② については、さくらんぼ、いちご等の果物に高級ブランドで海外の富裕層に輸出している例があるようだが、今後さらに拡販を狙うなら、①、③型のパッケージ型産業の方向を志向すべきだと考える。
③ については、オランダの花卉が成功例としてあげられる。

オランダの花卉産業は、その生産額、輸出額において、狭い国土にもかかわらず、世界のトップクラスである。その現状と成功要因は、下記の報告書に詳細に記述されている。
*オランダ花卉輸出戦略調査:農林水産省:平成21年3月
*オランダの花卉産業レポート「プロモーションの仕組とその背景」
日本花き普及センター:本田繁:平成21年5月

 成功の要諦は、農業力(花卉栽培ノウハウ)、研究力、制御技術力、販促力、輸送力、流通ノウハウ等々あらゆる機能を統合化、パッケージ化しているところにある。その組織力が強い。

 日本の工場農業はまだ日が浅く、工業化したという段階に過ぎず、農業技術と制御技術が合体したところであり、栽培ノウハウ(例えば光線の角度で収穫期を制御するなど)を練磨することから出発して、パッケージ化された新しい産業の形を構築していくことが肝要である。



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2014年12月02日

アベノミクスを検証する(二) - 松井幹雄

①「アベノミクス解散」
安倍首相は、11月21日,任期満了まで2年を残して衆議院の解散に踏み切り,自ら[アベノミクス解散]と命名した。また12月に決定する予定になっていた来年10月からの消費税率2%引き上げを見送った。自公連立与党の対立軸をめざす選挙体勢の構築でもたついている野党が虚を突かれたことも否めない。「解散の大義はない」と、この決定を批判し、「身勝手解散」、「増税失敗解散」などとごろ合わせするのは精いっぱいである。詳しくは後述するが、今回の安倍首相の決断は、勝負どころにさしかかっているアベノミクスの本丸、「第三の矢」の遂行に不可欠な長期安定政権と政治的リーダーシップを強めることをめざしている。過去の政権が繰り返してきた失敗の学習効果が出たというべきではなかろうか。
*因みに11月22日のThe Economist誌は、選挙民はもう一度安倍首相にチャンスを与えるべきである、と今後4年間の政治力を強固なものとする今回の選挙の意義を的確にとらえている。

ところで景気はどうなっているか。11月18日に発表された今年第三四半期のGDP速報値は、実質の年率換算で前期比マイナス1・6%となり、第二四半期のマイナス7・1%から連続してマイナス成長と、景気は失速状態にあることを示している。過去に繰り返されてきた、円安―輸出拡大が景気回復の主導役となるパターンが今回は機能していない。しかし、有効求人倍率の上昇と一部職種に人で不足のみられること、大企業で久しぶりに賃上げの動きが出ている。輸出関連企業の収益が好転し設備投資にも動意が見られるなど、これまでになかった景気回復を示す指標も出はじめている。
遡って日銀は、10月31日に追加金融緩和を行い、来年4月までに物価上昇率を2%に引上げる目標堅持という意思を改めて確認しながら、「景気は緩やかに回復している」という判断を示している。

ともあれ年末の総選挙は、まず2012年12月の安倍政権発足以来実行されてきた、「デフレからの脱却」と「日本再生」をめざす、アベノミクスの評価と安倍政権の信任を問う選挙となる。今年4月以降の景気が「想定外」の展開をはじめた原因は、今年4月の消費税3%増税の結果である。4月以降の消費が、その前の「駆け込み消費」の反動を考慮しても予想以上の落ち込みとなり、さらに大幅な円安の進行による輸入物価上昇と実質賃金の目減りが、消費の低迷に追い打ちをかけている。
景気判断が何故間違ったのか。アベノミクスの政策ブレインの一人、内閣府官房参与の浜田宏一エール大学名誉教授は、昨年11月に出版した著書のなかで次のように述べている。「2014年4月に消費税率を5パーセントから8パーセントへ、3パーセントも引き上げるというのは、かなり急激な変化です。これだけの大幅な引き上げは、他国でもほとんど試されていません。私は賛成しかねます。まして、現在は、日本経済が、15年以上続いたデフレと不況から立ち直ろうとしている大事な時期。予定通りの消費税引き上げは、総需要の減少に加え、資源配分を阻害するおそれがあります。引き上げるにしても、アベノミクスによる経済回復の足を引張らない形、たとえば1年ごとに1パーセントずつといった形で漸進的に行うべきであるというのが私の立場です。」しかし、当時、日本の政策担当者、メディア、学者などの大半は、浜田とは反対の立場、つまり12年7月の法律で決まった通りに一挙に消費税を引き上げるべきである、と主張していたのである。
*浜田宏一『アベノミクスとTPPが創る日本』(講談社)、2013年11月、pp 98-99。浜田は、今年11月4日に開催された、増税の是非を有識者に聞く政府の集中点検会合に出席し、「再増税を延期すべきだ」と断言している。新聞報道によれば、この会議に出席したメンバー、すなわち地方自治体、労働界、財界、中小企業団体、消費者団体の各代表は圧倒的多数が「増税やむなし」と説いている、この背景に財務省の意向が見え隠れするが、さらに、同省に受けの良い学者が出席し、「増税見送りの政治コストが大きい」と政治論まで引張り出したり、脱デフレ政策を聞かれると、「1,2時間では説明できない」と逃げたという。(産経新聞、11月26日)

さらに浜田は、日本は世界にまれな財政危機にあることは確かだが、「このままでは政府が破産に近い状態になってしまう・・・国際市場はもとより、社債や株式市場でも、日本に対する信頼がなくなる。消費税増税を躊躇したり引き延ばしたり、アベノミクスにも信憑性がなくなってしまう」という主張は、財務省の意図的な刷り込みである、と指摘している。こうした「洗脳」が、財務省に異を唱える勇気のない学者や。(減免税率がほしい)新聞によってさらに広まっている。彼は、ひとつの省庁が人々の考え方を作り上げる「認識捕囚」が起こっている、とも述べている。
*浜田、前出、pp100-101.浜田は、消費税増税と財政再建について、先ず問題となるのは、増税によって失われるGDPや日本経済の失速の懸念であり、消費税増税による財政再建はその後だというのが外国の共通認識だとも指摘している。

12年7月に、当時の民主党野田政権のもとで野党だった自民党、公明党との間に合意が成立し「社会保障と税の一体改革関連法案」が成立した。この3党合意の背景に、財務省の強い影響力と徹底した情報操作があったということは周知の事実のである。ともあれ法律によって、消費税は5%から1014年4月に8%に、そして15年10月に10%に引き上げることが決まったのである。消費税率引き上げの背景には、毎年1兆円ずつ増加する社会保障関連費を賄い、税収を超える国債発行が続くという危機的な国家財政を改善するための第一歩という認識があったことは言うまでもない。しかし具体的な問題、例えば社会保障でいえば年金、高齢者医療制度などについて、政党間の意見対立は解消されておらず、新設する社会保障制度改革国民会議に議論を委ねられている。また消費税の引き上げについても、引き上げ予定時に景気の状態が悪ければ、引き上げ幅や引き上げ時期を見直すとする「景気条項」が付けられていた。

また、ノーベル賞経済学者のP.クルーグマンプリンストン大学教授は、今年11月2日付ニューヨークタイムスのコラム記事「Business vs Economics」で、10月31日の日銀の追加緩和を肯定的に評価しながら、以下のような彼の持論を繰り返している。すなわちビジネス出身のリーダーは、国の経済が危機に瀕した時に間違った判断をし、それが致命傷になりかねないという警告である。彼らは財政赤字が最大の脅威であり、その解決が何よりも優先すると主張するが、財政支出入の対象は国民であるのに対し、企業の売り上げは殆どが従業員以外の外部顧客である。不況、つまり需要不足の時に財政再建のためにする増税は、従業員を削減しコストを切り詰めて競争力を回復するという不振経営立直しの定石とは、逆の経済効果をもたらし、需要不足をより深刻にする。企業で奏功する対策が、国レベルでは問題を一層深刻にするのである。P.クルーグマンは、インテリ風学者タイプ(pointy-headed academic types)のリーダーには気をつけろとも述べている。
*昨年9月4日の拙稿「アベノミクスの検証―消費税増税をめぐる論点整理のためのノート」を参照されたい。アベノミクスの目的は、「デフレ脱却」であり、そのためには錯綜した不確実な環境のなかで「First things first」というマネジメントの鉄則を守ることが大切だ、と述べた積りである。

②「アベノミクス」の評価
さて、安倍第二次内閣の発足から2年間が経ち、来年の消費税10%への引上げを2017年に延期したことで景気失速の懸念は薄らぐだろうが、アベノミクスについてさまざまな評価がなされている。「成果は途半ばだ。行き過ぎた円高の修正によって雇用や所得の改善につながったものの、個人の消費や企業の投資が増え続ける好循環には至っていない」(日経朝刊、11月22日付)というのが公約数的な見解ではなかろうか。つまり、デフレから脱却する兆しは見え隠れしているが、アベノミクスの本丸といわれる「第三の矢」成長戦略が遅れており、しかもこの戦略が効果を出すためには時間がかかるからである。従って、詳しく触れる事は出来ないが、現段階での評価は、「何をどういう視点から捉えるのか」という、問題と立脚点によって大きく異なることに注意しなければならない。単純に現段階の状況を見て、「失敗」だとか「成功」といってみてもそのことに合理的な意味はない。ましてや長い時間を必要とするアベノミクスの評価を急ぎ、「たらいの水と一緒に赤子を流してしまう」ことがあっては元も子もないのである。
「経済学的にはリフレ派と称されるアベノミクスは理論的に正しいのかどうか」、「格差拡大や円安の痛みが大きく、成果は大企業に限られて国民全体に行き渡るには時間がかかる」等論点はさまざまだが、アベノミクスの本筋から逸脱した議論を振り回し混乱させる学者も少なくない。改めて強調したいのはデフレで名目GDPの縮小という長期の病気に罹った患者を、病理学者が、臨床医を気取ってみても病気はよくならないどころか病状診断も覚束ないということである。
*例えば、伊東光晴『アベノミクス批判 四本の矢を折る』(岩波書店)、2014年7月。伊東光晴京都大学名誉教授は、アベノミクスのリフレ政策は、実証性を欠いた経済理論に立脚しており、さらに日本経済が直面する長期停滞の根本原因が人口減少にあるとして、明確に反対の立場から批判している。さらに同書の「おわりに」のなかに、次のような一節がある。「安倍政権は、その実行力という点ではかなりのものである。目的のためには手段を選ばない、権力主義的な政治行動を是認するマキャベリズムだと考えて間違いない。・・・経済学者ケインズが求めたものは、経済的効率と社会的公正そして他に寛容な個人的自由であった。そのいずれをとっても質を異にする複数の理想である。それゆえに、その達成には、手段が問題となるのであり、その手段いかんが大切になるのである。」
「マキャベリズム」という言葉は、『君主論』が論じている当時のイタリヤの政治状況を無視して独り歩きし誤用されることが多い。「君主が信義を守り、誠実に奸策を用いずに生きることがいかに賞賛すべきことであるかは誰もが知っている。にもかかわらず毎日の経験からすれば、信義など無視し、奸策でもって人々の頭脳を騙している君主のほうが、大事業をなしてきている。しかも最終的には彼らのほうが誠実である君主を圧倒している」と、リアリストのマキャベリは君主に向かって説いた。安部首相の評価は、彼の政治スタイルが、「マキャベリズム」かどうかではなく、彼が何を成し遂げたのかという成果との関連で評価されるべきではなかろうか。(家田義隆『マキャベリ―誤解された人と思想』(中公新書)、1988、第三章)

繰り返すが、アベノミクスには即効的な部分と3-5年、さらには10年の長い時間を必要とする部分(意識改革や制度変更など)がある。「第一の矢」、すなわち「大胆な金融政策」によって2%の物価目標を達成すること、について言えば、政府・共同声明(2013年1月)、デフレ脱却に積極的な黒田東彦新日銀総裁のもとでの量的・質的緩和策の実施(2013年4月)と、着々と実行されている。その結果、物価上昇と為替レートの円安が同時に進行しはじめ、株価が上昇するなど「期待した効果」を挙げてきた。次に、「第二の矢」、すなわち「機動的な財政政策の実行」については、「日本経済再生に向けた緊急経済対策」(2013年2月)、2013年度予算(同年5月)が成立し、さらに2014年2月には消費税増税の影響を軽減する目的で「好循環実現のための経済対策」が成立している。
「第三の矢」については、日本経済再生本部や産業競争力会議で議論が進められ、新たな成長戦略「日本再興戦略」が2013年6月に閣議決定され、同年秋の臨時国会で関連法案の一部が成立した。さらに2014年6月には、労働市場改革、農業の生産性拡大、医療・介護分野の成長産業化に力点が置かれた「日本再興戦略」改訂2014が閣議決定されている。しかし具体的な思索の決定には至らず時間がかかっている。それぞれのテーマが、「改革」に絡む既得権益と政治家の利害が入り組んでおり、安定した長期政権と強力な司令塔なくしては、理屈だけでは実現しない。20年以上続いてきた改革論議とその失敗の繰り返しがこのことを証明しているといえる。
そして、すでに述べたが、デフレ脱却と財政再建という全く異質の政策目標が混在しているために首尾一貫したデフレ脱却への道が描き切れない。案の定、消費税が8%に引き上げられた結果、日本経済は「想定外」の2期連続マイナス成長に陥ったのである。
*アベノミクスに関する最新の状況把握については、片岡剛士『日本経済はなぜ浮上しないのかーアベノミクス第二ステージへの論点』(幻冬社)、2014年11月、を参考にした。

さらに浜田は、「消費税を社会保障のために増税するというのに、『増税』以外の話を全く聞いたことがないというのは大問題です。歳出をきちんと減らし、無駄のない健全な予算をつくるための具体策が、ろくに議論されていない。また、高度成長の影響で中高年層に富が偏り、うまくお金が若い世代に流れていない問題への対策も進んでいません」と、現在の、消費増税と財政再建問題の接近方法に基本的な問題を投げかけている。
*「アベノミクスはこのままでは崩壊する」、文芸春秋26年12月号、p114。さらに、田中秀明明治大学教授は、日本の国家予算制度と財政規律について、世界の水準からかなり遅れているとして具体的にその問題点を論じている。(田中秀明『日本の財政』(中公新書)2013年)
それにしても、先進国で最大の財政債務を抱える日本が、この様な予算制度や財政規律の見直しに優先的に取り組むことを怠り、何故過去20年改革と云いながら、増税に焦点を当ててきたのか、この代償、コストは計り知れないものがある。因みに、日本経済新聞編集委員の清水真人が、昨年8月に出版した『消費税―政と官との「十年戦争」』(新潮社)は、今回の「消費税10%」を推進した政治家、財務省幹部達に焦点を当てながら、その経過をドキュメントとしてまとめたものである。清水は、彼らが、12年夏の増税関連法案成立のために膨大な政治的エネルギーを蕩尽した、と述べている。野田佳彦前首相は同年12月の参院選で歴史的な敗退を喫し、民主党政権転落の戦犯となった。またカウンターパートだった自民党の谷垣前自民党総裁も、現下の政局で影が薄く、首相を経験しない自民党総裁として歴史にその名を留めることになった。国会対策で獅子奮迅の働きをした財務省幹部は、増税関連法案成立後病魔に襲われ長期間の療養を迫られた、と指摘している、増税の政策決定のプロセスについても徹底的に解明し問題点を明らかにする必要があろう。

③アベノミクスのプロセスとマネジメント
アベノミクスは、「雇用と生産を回復すること」を第一目標としたものである。浜田によれば、そのためには「雇用されている人々が、実質賃金の面で少しずつ我慢し、失業者を減らして、そのことが生産のパイを増やす。それが安定的な景気回復につながり、国民全体の購買力をアップさせ、みんなが豊かになる。それがリフレ政策でありアベノミクスです」ということになる。
アベノミクスがめざす日本経済再生の目標はこの通りかもしれない。しかし、そのために「三本の矢」をどう実行していくのかシナリオもなければ、達成に向けてプロセスをコントロールするマネジメント能力についても議論は殆ど進んでいないのが現状である。そのために必要な時間、政治的エネルギーは莫大になると予想される。
*浜田宏一、前出、p93。

デフレ下での経済改革と財政再建の取り組みは、今回のアベノミクスがはじめてではない。1996年1月、橋本竜太郎内閣が発足するが、橋本首相がめざしたのは、21世紀の少子高齢化社会をにらんだ「日本の立て直し」であり、そのための赤字で膨らんだ財政再建と「六大改革」であった。すなわち、行政改革、財政構造改革、金融システム改革、経済構造改革、社会保障構造改革、教育改革である。その嚆矢として、同年11月「日本型金融ビッグバン構想」を発表し、バブル崩壊で傷んだまま不良債権問題の処理を先送りしてきた日本の金融システム、つまり大蔵省(当時)の下にあった護送船団方式の抜本的な改革であった。都市銀行の一角を占めていた北海道拓殖銀行は自主再建を断念し北洋銀行に営業譲渡した。事実上の破綻である。また1998年には日本長期信用銀行が経営破綻し、一時国有化された後新生銀行と名前を変えて再スタートした。1997年末には大手証券会社として伝統を誇る山一證券が自主廃業を決定している。そして1998年4月には大手銀行21校に約1兆8000億円の公的資金が注入されたのである。
橋本内閣は、財政改革にも積極的に取り組んだ。1997年4月には、あらかじめ法律化されていた消費税を3%から5%への引き上げに踏み切った。しかし、この結果、駆け込み需要の影響もあって1996年には堅調な成長を見せていた日本経済は、1997年度第一四半期の実質経済成長率は年率換算でマイナス11・2%と大幅に落ち込んだのである。特に消費の落ち込みが大きかった。1998年7月の参院選挙で自民党は惨敗し、橋本首相は責任を取って退陣、小渕内閣が発足する。しかし、日本経済はデフレスパイラルの危機に陥り、思い切った財政出動をするために「財政構造改革法」を凍結せざるを得なくなる。この間の詳しい経緯は省略するが、要するに大蔵省(当時)の主導の下に、大蔵省の書いた筋書きに従って行財政の運営を行ってきた「日本株式会社」のシステムが機能不全に陥ったことが白日の下にさらされたというべきであろう。
*詳しくは、例えば日本経済新聞社編『検証バブル 犯意なき過ち』(日経ビジネス人文庫)、2001.

橋本内閣で総理大臣秘書官(政務担当)として行財政改革に取り組んだ江田憲司{維新の党共同代表、前衆議院議員}は、当時を振り返って示唆に富む指摘をしている。「なぜ真の『改革』をしなかったのか。それがまさに行革の原点なのだ。公共事業だって、旧態然とした配分が十年一日の如く変わらないのはなぜか。『司令塔』がないからである。政治の主導性がないからである。・・・経済金融政策に国全体のことを考えて指令をだす仕組みがなく、ただひたすら既得権益にすがり、改革といってもその延長線上でしか考えてこなかったツケが今出ているのである。政治や国政の場においては、目先の利益ばかり追っていては長期的利益を失うこともある。長期的利益にためには、たとえ短期的には国民に不人気な政策であっても貫き通さねばならないこともある。」
*江田憲司『誰のせいで改革を失うのか』(新潮社)、1999、p249.日本が長期デフレに悩んだ原因が「マクロ経済政策決定の権力構造にあった」という視点から分析した、外国研究者の成果として、例えば、W.W.グライムス(太田赳監訳)『日本経済失敗の構造』(東洋経済新報社)、2002がある。

さらに江田は、日本がめざすべき方向についても見解を述べている。「これからは、好むと好まざるとにかかわらず、『政治の時代』である。ただ、そうは言っても『政治と霞が関の間隙』は、しばらく埋め切れず続くのかもしれない。しかし、それは民主主義の、ある意味では一種のコストであり、これを乗り超えて初めて、日本は『戦後民主主義さえも輸入した』という歴史的段階から一歩先に踏み出す歴史を新たに歩み始めることになるだろう。この民主主義の世界で、レジティマシー(正統性)を持つのは、国民に選挙で選ばれた政治(政治家)のみであり、国や国民の運命もそれに託されてこそ、それがバラ色のものになろうと、崩壊の危機に陥ろうと、最後は納得できるものだからだ。そして、霞が関は本来の場所にもどり、その矩をわきまえていく。その役割が矮小化するのではない。国家国益を担う『大きな政治』を支えるという性格に特化するということなのだ。」
*江田憲司、前出、p29。

改めて「三つの矢によって日本経済の再生をめざす」という目標の下で2年が経過した安倍政権の直面する問題は何か。「真の改革とは何か」が問われなければならない。さらにいうまでもなく政策は、単に策定段階での是非ではなく、実行のプロセスが重要であることを改めて銘記すべきであろう。途半ばの段階にあるアベノミクスを、現段階でどう評価するのか。比較すべき適当な事例も、評価の準拠についても見当たらないが、ただ経営の分野には沢山の事例と、その分析、研究の成果がある。そこで、観点を変えて「深刻な経営不振に陥った巨大企業の再生」の事例研究に焦点を当て、アベノミクスに必要なリーダーシップについてヒントとなる論点を整理してみよう。

1970年代から80年代にかけてアメリカでは、戦後の成長から成熟への転換を迫られた多くの巨大企業が、「再生(Remaking)」という課題を抱えて試行錯誤していた。しかし、多角化した事業、肥大化した重層的な官僚組織を抱えこんだ巨大企業にとって、この新たな挑戦は難題であり成功した企業は限られていたのである。それまでの創業、成長の時代とは全く問題の性格が異なっていたからであり、リーダーの資質も創業・成長の時代とは異なっていたからである。再生のリーダーは、慣れ親しんだ事業からの撤退や従業員の大胆な削減など、困難で不愉快な決断を次々に迫られる。しかも決断から成果が出るまでに時間がかかり、その間、社内外の批判や中傷に晒され、それに耐えなければならない。反対派との権力闘争もしばしば起こる。他方で従業員を活性化する意識改革、新規事業の育成も手抜きできない。この再生のプロセスを仕切ったリーダーは、「挑戦的な目標と達成基準を定め、その進捗状況を監視し新たな状況に適応する厳しい規律と冷厳さ」(highly disciplined and relentless about setting and monitoring progress towards demanding performance standards)を併せ持つ、強力なリーダーシップを必要としたのである。当初目標からブレることのない、首尾一貫した決断と行動が求められた。プラグマチストでなければならないが、暗いトンネルを抜けたら光が見えるという信念の持ち主であり、楽観主義者であった。
*N.Nohria,D.Dyer and F.Dalzell, CHANGING FORTUNE , John Wiley & Sons, Inc.,2002
この再生のリーダーの一例が、1981年に伝統企業ジェネラル・エレクトリックのCEOに就任したJ.ウエルチである。主流の財務畑出身ではなく傍流の化学工学エンジニアから頭角を現した彼は、電燈を発明したエジソンが創立した伝統あるアメリカ大企業に対し、大胆に大ナタを振るう。官僚的組織を解体し、大胆な事業の選択と集中を行った。社員の意識改革にも取り組んだ。彼がめざしたのは世界で最も競争力のある企業に変革することであり、そのために危険な賭けもいとわなかったのである。奮闘する彼につけられたあだ名が「中性子爆弾のジャック」だった。この強烈な破壊力を併せもつリーダーが率いるGEは、1990年代初め10年の歳月をかけて遂に目標を達成した。従業員は25%縮小したが売上高600億ドル、利益45億ドルで15の事業部を持つアメリカで最も強力で巨大ま複合企業として再生し、J.ウエルチは内外の賞賛を浴び名経営者と称されるようになったのである、しかし、ライバル企業のウエスチンググハウスも同じ時期に再生にむかったが、失速し、分解され他企業に買収されて終わっている。(ロバート・レスター『GEの奇跡』(同文書院インターナショナル)、1993)

④アベノミクスとイノベーション
総選挙に訴えることによって、国民の支持を背景に、霞が関とその影響下にある族議員に対する「政治のリーダーシップを確立する」という手法を採用した事例として、小泉純一郎首相が国会開催中に行った2005年8月の「郵政解散」がある。安部首相は、消費税増税をめぐる財務省とその影響下にある自民党および野党議員との政策論の対立に関連して、この小泉首相の前例を意識していたといわれる。
*日本経済新聞2014年11月21日付。

小泉首相は、予め国会期中でも郵政法案が否決された場合は衆議院を解散して総選挙を行うことを明言していた。そして実際にブレることなく言葉通り衆議院を解散した。また法案に反対投票をした議員には自由民主党の公認を与えず、郵政民営化賛成派候補を擁立したのである。この突然の解散について「自爆解散」、「干からびたチーズ解散」などと様々な命名が行われたが、「官から民へ」という改革を進めるために、反対派を切り崩し政治的リーダーシップの確立をめざした小泉総理の真意とその政治的意味を理解すべきであろう。今回の「アベノミクス解散」は、この小泉首相の手法を前例として決断された解散であった。安部首相は、これから日本再生のための本命、「第三の矢」を成功させるためには、長期安定した強力な政治的リーダーシップが求められることをよく理解している。それを、現段階で失敗だ、成功だと一喜一憂するのは時期尚早である。「解散の大義がない」というのも間違いである。マキャベリストだと非難するのは根拠の薄弱なレトリックであり、「レッテル貼り」である。

ところでアベノミクスは、これからいよいよ「岩盤規制」の撤廃、改革をめざす成長戦略に入る。しかし、伊東は、生産年齢人口が劇的に減っていく日本経済に直面するアベノミクスが、「民間投資の増加によって成長を促進させる」という「第三の矢」を中心に据えていることに疑問符を呈している。彼はいう。「成長戦略は、シュンペーターのいうイノベーション、つまり新しい技術進歩が新しい商品を生みだし、新しい市場と新しい経営組織に支えられて生まれることを期待しているようにも思われる。だが、そうしたものづくりのための経済理論も、確かな手段も存在しない。『日本産業再興プラン』の内容が不明確なのは当然なのである。いつ実現できるかわからないプランが並んでいるだけで、時間軸なき政策、それゆえ第三の矢は、安倍政権存続中には、有効性を持たない音だけの鏑矢に終わる可能性が大きい。」
*伊東、前出、p67.

この伊東の見解と対立するのが吉川洋である。彼は、2013年1月に出版した『デフレーション“日本の慢性病”の全貌を解明する』(日本経済新聞社)のなかで、人口減少が成長戦略の根本的な制約要因とはならないと述べている。日本企業は、これまでのコスト・品質の競争力向上を目指す「プロセスイノベーション」から「プロダクトイノベーション」に目標を変えなければならない。「プロセスイノベーション」への傾注こそが、賃金所得を引き下げ、先進主要国のなかで日本だけが長期のデフレに陥った原因である、と指摘している。ただ、この背景には、円高、そして5億人規模の新規労働者の参入、その低賃金によって支えられた「世界の工場」が隣国に出現するとい歴史的事件があったことも考慮すべきであろう。

The Economist誌の今年10月4日号は、「The third great waves]と題した特集を組み、世界が第3次の革命の時代に入ったとしてその将来とインパクトについて論じている。新製品が次々と登場し、産業、人間の社会生活、そして世界経済の在り方を一変させる「デジタル革命」である。この革命は、computing power(計算能力)、connectivity(結合性)、data ubiquity(情報の遍在)の三つの力を飛躍的に向上させることによって既に革命的な変化を生起させつつあるが、この変化が今後加速化していくものと予測されている。例えば、現在の通信、知識、エンターテイメントの分野が様変わりしタダ同然となり、いつでも誰でも使用されるようになり、また現在の雇用の約50%は消滅し、新しく生まれる雇用に取って代わられると予想されている。
*デジタル革命が雇用に及ぼす破壊的な影響について、オックスフォード大学のC.B.Frey教授らが行った700種の職業についての分析結果がある。The Economist誌は、コンピューターが労働に取って代わり現在アメリカにある職業の47%が、今後10年から20年以内に自動化され消失する見通しである、と指摘している。

ロボット、スマート・マシーン、自動運転自動車が日常生活のなかに浸透し、これまでの生活を一変させる。詳細は、別の機会に譲ることにして、ここで強調したいのは、世界、そして日本が大変革の時代にはいったという事実である。そして、アベノミクスによる日本再生の構想、そしてそこでのキーワードの一つである「イノベーション」と密接に関連している長期的課題であることを強調したい。人口減少、高齢化社会の到来によって、日本経済は成熟、衰退期に入った。アベノミクスの成長戦略は成功するはずがない、といった「過去の(defunct)経済理論や仮説」に振り回されて日本の将来を見誤ってはならない。
実際に、1990年代まで世界のエレクトロニクス産業をリードし、又輸出の牽引役として日本経済で大きな役割を果たしてきた日本のエレクトロニクス産業の凋落振りには、眼を見張るものがある。そして、その最大の原因が、このデジタル革命への出遅れであったことは周知の事実になりつつある。「第三の波」は、遠い将来の話ではない。いまや現実なのである。
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2014年11月04日

アベノミクス、660日の軌跡 - 林川眞善

はじめに:正念場?の「アベノミクス」
1.アベノミクス始動
2.右旋回をはじめた安倍政治
3.新成長戦略と、「アベノミクス第2章起動宣言」
4.日本の‘国のかたち’が変わった
5.安倍晋三政権の罠
おわりに:富国裕民 (付)[ 資料 1 /2 ]


はじめに :正念場?の「アベノミクス」

10月31日、日銀は追加の金融緩和に踏み切りました。その内容は、金融政策の目標としている資金供給量(マネタリーベース)を、年10兆円~20兆円増やし、年80兆円に拡大すると言うもので、日銀が追加緩和をするのは、黒田総裁就任直後の昨年4月以来のことです。日銀は2015年度にかけ物価上昇を2%に高める目標を掲げていますが、近時、足元の物価上昇が鈍化していることを受けて、デフレマインドからの転換を促すべく追加緩和を決定したと言うものです。この直後、円安は進み、株式市場は大いに囃したことなど、云うまでもありません。また、同じタイミングで、成長戦略の一つとされている年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の公的年金の‘運用構成’を、国内債は35%に下げ、国内株式を25%に引き上げると、アナウンスされたのですが、これも株式市場の活性化を狙ったもので‘株価’と歩む、安倍政権、躍如と言う処です。

しかし、追加緩和に向かった事情などからは、単にアベノミクスの底上げと、映る処、その行き着くところが極めて気がかりと言うものです。と言うよりも、その運営のあり姿からは、「アベノミクス」はいま正念場を迎え出しているのではと、思えてなりません。

そのアベノミクスは、2015年1月4日で、3年目を迎えます。これまでも、当該動向については‘月例論考’等、都度報告してきていますが、この機会に、それら資料をベースに、「アベノミクス、660日の軌跡」と題し、改めて「アベノミクス」の來し方を、一からレビューし、そこに見る問題、課題、求められるべき成長戦略等、今後の日本の在り様も踏まえ、考察してみたいと思う次第です。

1.アベノミクス始動

2012年12月の総選挙の結果、自民党が大勝。3年半ぶりの政権奪還で、再び首相の座に就いた安倍首相は、翌、2013年1月4日、長きに亘り続く日本経済のデフレからの脱却、そして持続可能な経済の再生を目指す経済政策を打ち出しました。「アベノミクス」です。その名は、今や世界に冠たる経済用語となっていること、周知の処です。その政策の枠組みは、3本の矢、つまり第1の矢とする‘異次元の金融緩和’、第2の矢とする‘従来にない大幅な財政出動’、更に第3の矢とする‘構造改革を狙った成長戦略’、という3種の政策手段を擁するもので、その基本は金融財政を駆使してデフレからの脱出を図るいわゆるリフレ政策です。

まず、第一の矢とされた金融政策については、安倍首相はまず人事面から手を付けます。つまり、任期の来た白川日銀総裁に代え、予て長期停滞の日本経済を復活させるには大幅な金融緩和が必要、と主張していた当時アジア開銀総裁にあった黒田東彦氏を3月に総裁に迎えたのです。
さて、その日銀(黒田総裁)は、4月4日、物価上昇率2%を目標として、その達成に向け異次元と言われる大胆な量的金融緩和、具体的には「マネタリー・ベースで資金供給量を14年末前年比約2倍の270兆円に拡大させる」とする金融政策を実施したのです。この結果、これまで日本経済の足かせともなっていた円高は、その是正が進み、株式市場は活性化し、企業収益の改善も進むなか、個人消費も回復をみるまでになったのです。

そして、第二の矢として、政府は機動的財政出動として大幅補正予算(13兆円規模の補正追加予算)を成立させる一方、大規模と言われた2014年度の予算案(一般会計総額、95兆8823億円)の年度内の成立を図ったのです。この経済再生とデフレ脱却を目指す安倍政権の予算は、新年度当初から始動できる環境も整ったと云うものでした。

こうした金融、財政の二つの政策実施をうけ、円高の是正、株式市場の活性化、公共投資の回復、需要の回復で、日本経済の景色は一変する処となり、夏場にかけて漸く、デフレからの脱却への道筋が見えてきたと、一気に経済の雰囲気は明るさを取り戻すところとなり、海外からも、大きな賛辞を以って迎えられたと言うものです。因みに、今年1月、スイスで開催のダボス会議には、安倍晋三氏は日本の首相として初めて招待され、基調演説を行っていますが、そこでは20年来のデフレ停滞を託っていた日本経済を覚醒させた政治家として紹介され、まさに‘スター’となったのです。(注)

(注)英紙Financial Times(Jan,25/26,2014)では、`Abe and Rouhani emerge as star attractions’ と、安倍首相と同席のイラン、ロハニ大統領の二人をスター登場と紹介。

その直後の円相場は94円77銭まで円安に、又これを受けた日経平均株価の終値は1万1662円52銭と2008年9月29日(1万1743円)以来の最高値となっており、2013年に入ってからの日本株の上昇率(12.2%)は世界で突出したものとなったのです。そして2月12日発表された消費者態度指数は43.1と前月から4.1ポイントも改善を示しており、消費者のデフレ心理も和らいでいったというものでした。これまでの「円高とデフレ」は一体で進んできた面が強かっただけに、この変化が意味する処は極めて大きく、つまりは、これまでの円高・超低金利の長期トレンドが反転を迎えたと言うものでした。いずれにしろ敵失で再登板した安倍晋三政権は、その成立直後の国民支持は40%であったものの、いまや70%に迫る支持率にあったのです。まさにリフレ政策の賜物という処です。

序でながら、異次元の金融緩和、そして、その結果としての円安の進行で景気回復を進める日本の姿は、1985年9月22日、NYのプラザ・ホテルで4か国(日英独仏)の財務相があつまり、米ベーカー財務長官との間で、ドル高是正のための合意をみた、いわゆる「プラザ合意」を想起させる処でした。

従って、2013年と言う年は、アベノミクスで始まり、アベノミクスで終わるものと思われていました。しかし事態は後述するように、2013年7月の参院選での自民党圧勝を境に、安倍晋三首相の政権運営の姿勢は、言葉とは裏腹に経済から政治に、つまり‘右’よりにシフトを始め、12月26日の靖国参拝は、その極みと映るものでした。靖国ショックです。そして今年、2014年は、その影響を引きずった一年となったいうもので、安倍政権には、その信が問われ続けられることとなったのです。

・日銀の役割

尚、ここで注目すべきは中央銀行、日銀の役割の変化でした。これまで、日銀は通貨の番人として、政府の経済政策とは常に一線を画す形で、政策展開を図ってきたのですが、今回、アベノミクスの金融財政政策の円滑な推進を図る趣旨から、安倍政府は日銀とのアコード、つまり政府の経済政策を理解し、日銀がそれに応える形で、金融政策を進めていく事を合意した事でした。
つまり、チーム・アベノミクスが編成されたということで、云うまでもなく監督は安倍首相、ヘッド・コーチは安倍首相に請われて就任した日銀の黒田総裁。そのヘッド・コーチの役割は、監督の趣旨を体して、第一の矢「大胆な金融政策」を実現し、第二の矢の「機動的な財政政策」(勿論これは日銀の担当領域ではありませんが)の原資のお膳立てをすること、つまり日銀による国債引き受けのスキームを作り上げたことで、ほぼその任務は達成できたという事になるのでした。従って、あとのインフレ・ターゲットは円安傾向が持続する限り達成は十分可能と見られると言うものでした。

・‘成長の天井’

が、その実状は、株価が上昇しただけで、期待されていた実体経済の活性化は一向に見えてこない、つまり、景気の好循環が企業の設備投資に繋がる、本格回復には至らぬままに推移していったというものでした。言うなれば‘成長の天井’を突破しないと次に進めないという状況がそこにあり、その天井こそが、いま日本経済が抱える構造問題とされる処ですが、それに向かっての対応が出来ていなかったという事です。その構造問題を映す指標が、一つは‘国際収支黒字の減少(赤字化傾向)’であり、もう一つは‘企業の設備投資の伸び悩み’なのです。とりわけ、前者については、財政赤字は国債で穴埋め推移してきていますが、この国債消化にはこれまで好調な輸出(貿易黒字)が齎してきた経常黒字が充てられてきた関係からみて、日本経済の運営という、より基本的な問題とされる処です。

又、後者については、特にリーマン以降、多くの企業は、経営の合理化、資金の効率追求等に走り、極めてリスクコンシャスとなり、新規投資は抑制的で、その結果は不稼働資金といわれる内部留保となって企業内に留まるばかりで、成長の誘導要因とされる設備投資は起こらず、経営は内向となってきたという事情です。この間、経済のグローバル化が進み、そうした環境にあって企業は、コストと市場の可能性を考えた限界的な海外進出を進めてきた結果、国内的にはいわゆる空洞化が進み、近時円安にもかかわらず、日本からの輸出は伸び悩み、輸出需要を見込んだこれまでの設備投資も鈍化してきたと言う事です。

元より、それら問題は、リーマン・ショック以降の不況の中で覆い隠されてきたと言うものでしたが、今回の第1の矢、第2の矢による回復基調が進む中で、それらが鮮明と浮き彫りされてきたというものです。そこで、その解決に向けた次の一手が求められる処で、それこそが、第3の矢とされる「成長戦略」で、しかも、それは、そうした構造改革に繋がるものであることが求められる、ということでした。

・第3の矢:成長戦略

さて、2013年6月13日、そのアベノミクス第3の矢とされる成長戦略は、「日本再興戦略」として閣議決定されました。そのシナリオは、「日本産業を強くすべく新陳代謝を進め、次に新たな成長分野を切り開き、そしてグローバル経済で勝ち、今後年3%の成長を目指す」とするものでした。(後出 資料[1] 参照)

然し、その直後のリアルたる‘市場’の反応は、ネガテイブナもので、海外メデイアも、期待されていた労働市場や医療、農業、企業関連の広範な規制緩和と言った主要項目がほとんど盛り込まれていず、力強さに欠けるものと、手厳しく批判するのでした。実際、安倍晋三首相自身、成長のカギは規制改革にありと、「規制改革こそが一丁目、一番地」と叫び、これこそが政治の出番としながらも、その直後の参院選を控え、関係業界や利益団体を刺激するような改革提案を躊躇していたこと、更には後述の通り、12月安倍晋三首相は日本の軍国主義賛美の象徴とされる靖国参拝を行ったことで、これが他国を激怒させる一方で、首相が経済改革の本筋から逃れているのではないか、との疑念が強まる等で、結果として具体的成果を見る事なく推移したということでした。


改めて、現下の景気回復が金融緩和による円安効果に支えられたものである限り、リアルの実弾の欠ける経済状況では、回復歩調も限界が見えてくると言う処、つまりは、デフレを確実に克服し、経済の再生を図り持続可能なものにしていく為には、経済の主役である企業を活力あるものとしていく事が不可欠であり、民間投資も回復していく必要があるという事を再認識させられたというものです。

こうした経済政策を巡る環境にあって、安倍政権の政策運営に大きな変化を齎す契機が訪れたのです。それは、その翌月に行われた参院選の結果でした。

2.右旋回をはじめた安倍政治

(1)2013年7月、参院選、自民圧勝

2013年7月21日行われた参院選では、自民党が圧勝、2012年12月の衆院選での結果と併せ、これまで続いた捩じれ国会の状況は解消され、安倍晋三氏としては政権運営に極めて自信を持つ処となったのです。(注)

(注)国会、政党勢力構成 (2014年10月14日現在)
           [ 政権与党 ]           [ 野党 ]
    ・衆院: 326(内、自民:295) 154(内、民主:56) 
    ・参院: 135(内、自民:115) 107(内、民主:59) 

つまり、前年の衆院選での自民党の大勝は、前政権の民主党がその無力さにNOを突きつけられた結果であり、云うならば敵失に負うセカンド・ベストの勝利であったのに対し、参院選での勝利は、安倍政権が掲げた経済政策、アベノミクスへの支持に負うものであったのです。この結果、安倍晋三首相には政権の安定運営が可能となったのですが、同時に、参院選で見た国民の政治感性を安倍晋三氏は十分に理解しておく必要があったのです。
  
が、この新たな政治環境を手にした安倍晋三首相は、その政治姿勢を急速に安全保障問題に向けていく処となったのです。これは、7年前の第1次安倍内閣での念願とした政策姿勢だったという事ですが、とすれば、それは、今、再び、と言う事で、気になる処です。
因みに、その後の安倍首相とその周辺では、特定秘密保護法、国家安全保障会議設置、国家安全保障戦略(NSS)、更には新防衛大綱、中期防衛力整備計画、そして集団的自衛権の行使容認、等、安全保障政策に向けた言葉が、安倍晋三首相が唱える「積極的平和主義」のキーワードの下、満ち溢れ、いつしか政権の右傾化を実感させられると同時に、国民が期待しているアベノミクスへの関心の希薄化を、感じさせられる処となったのです。もとより、それは民意を介すことのない政治姿勢と映る処です。

序でながら、確かに、日本を取り巻く安全保障環境は昨今、厳しいものがあります。中国は海洋で国際秩序への挑戦を続けています。米国の影響力は低下し、尖閣を巡る確執や北朝鮮の核ミサイル問題への対処にも不安は残る処です。そこで、日本が軍事的な役割を拡大し、地域のパワーバランスを図るのが安倍政権の考え方なのでしょう。しかし、軍事偏重の動きは、近隣諸国への敵対的メッセージにもなる処で、これが結果として、「安全保障のジレンマ」に陥ることにでもなれば、かえって地域の安定を損なうことにもなりかねません。そもそも中国の軍拡を抑制するには、国際世論を日本に引きつける外交力が必要になる処です。勿論、歴史認識や領土問題の取り扱いが肝心ですが、安全保障戦略からは解決への道筋は見えないことだけは銘記されるべきと思料するのです。

(2)安倍晋三首相の靖国参拝と、米TIME誌の特集

・靖国参拝

さて、こうしたコンテクストにあって安倍首相は、2013年12月26日‘靖国参拝’を行ったのです。云うまでもなく安倍首相の靖国参拝と言う行為は、内外からの日本批判を惹起する処、とりわけ中国、韓国よりは、右傾化を強める日本国の首相として「安倍晋三」への批判を更に強固なものとしていったのです。そうした中で、2013年は終わり、翌2014年は、その「靖国ショック」を引き継いでいく事となったのです。

中国、韓国からの批判は予想された処と言うものでしょうが、米国政府筋からも`disappointed’ とのコメントが伝えられるや、同盟国の米国に背を向けられたと、日本のメディアは伝えましたが、続く米国務省東アジア・太平洋担当次官補のDaniel Russel氏が発した安倍首相の靖国参拝についてのコメント「アジア地域に関する首相の見解と意向に疑問を抱かせ日本の外交面での影響力を損なうものだ」を耳にするに、なにかギクッとするものを感じさせられたというものでした。― いま、何故 靖国? というものですが。
そして、今回の‘靖国ショック’は、中国の台頭を背景に、世界のジオポリテイカル(地政学的)な構図が、米欧中心からアジアへと移行する中での事件であるだけに、アベノミクスの今後の生業とも含め、つまり「アジアの成長力を取り込む」ことをアベノミクスの戦略の一つとされている処ですが、これからの‘世界の中の日本’をマネージしていく上で、そのカジ取りは極めてタフなものとなっていく事が想定されると、示唆するのでした。

・米TIME 誌の安倍晋三特集

最早、安倍晋三氏は Nationalist, 国家主義者として危険な存在と評されるほどになっているのですが、2014年4月28日付、米誌TIMEが伝える安倍晋三特集‘The Patriot’は、極めて印象深いものでした。それは表紙一面に、安倍首相の顔写真を飾り‘強力な日本を夢見る安倍晋三’と題する特集でした。が同時に、その表紙には、なぜかそれが多くの人々を‘uncomfortable’(不安な思い)にさせている、と付言するものでした。

そのタイム誌の趣旨は、安倍晋三氏は、アベノミクスと呼ばれる経済政策を以って、これまで停滞してきた日本経済を再生させる道筋を作り、経済を元気にさせた、久し振りに世界的な注目を呼ぶ日本の首相、と評価するものでした。が、それにも拘わらず、昨年(2013年)12月の靖国参拝問題、直近の集団的自衛権行使容認問題、等々、こうした右傾化を映す彼の行動に、日本国民を含め多くのアジア諸国民が不安を抱きだしている、と指摘するのでした。そして、興味深かったのが、あまり取り上げられる事の無い晋三氏の父方祖父、安倍寛の話で、彼が今言う処のハト派であり、これに対して母方の祖父、岸信介と対比する形で語られていた事でした。
そして、安倍晋三の国内における支持の強さは、‘昨今の中国’に対する強い姿勢にあるとしながら、古賀元自民党幹事長の安倍晋三の行動への疑念を紹介しつつも、安倍晋三という愛国者は、‘悔悛’し頭をさげる、そういった姿勢はどうもとれないようだ、と締めくくるのでした。

その特集に出てくる、国家救済、自主防衛力、現行憲法改正、集団的自衛権、神道、等、これらキーワードが並ぶとき、いやがうえにも戦前の日本国家像のイメージが浮かび上がってくる処と言え、彼らが抱く安倍首相の姿勢に対する些かの危惧の念が伝わってくるというものです。そして、日本と言う国は、アジア諸国の理解、連携なくしてはやっていけなくなるのに、これでいいのか、なにも言わない今の国民に、いらだちを感じる、そういった様子が伝わってくるというものでした。

この特集が店頭にならんだのが、日米首脳会談が行われる4月24日の直前だったことも印象的でした。内外メデイアの伝える日米首脳会談は、日米の役割分担を確認し、同盟関係強化を再確認したとされるものでしたが、オバマ大統領は、安倍首相の進めんとする安保戦略を支持する形で‘軍事’負担のツケを日本に回す事で、米国内での政治環境に対応せんとするものだったと言うもので、日米同盟関係の質的変化を齎すことになったと言うものでしたが、その変化は、安倍晋三氏には(日本国民にとってではなく)都合の良いものになったと、映っていた筈でした。

昨年の秋口から安倍首相の動きが、経済復興より政治に向い出してきた事情を踏まえ、筆者は、とにかく政治は勿論大事だが、経済専一で進めること、つまりは「アベノミクス」の総仕上げに専念すべきと主張してきたのです。


3.新成長戦略と「アベノミクス第2章起動宣言」

(1)第4の矢:新成長戦略

かかる経過を経て、2014年6月24日、安倍政権は、アベノミクス第4の矢とも言える新成長戦略を打ち出しました。(後出 資料[2] 参照)

今回の新成長戦略は、前年の‘成長戦略’の失敗を克服し、経済の本格回復を目指さんとしたもので、とりわけ、経済の主役、企業の活性化を視点に置いた構造問題対応のシナリオとなっており、従来になく本気で取り組む姿勢が映るものだったと言えるものでした。
足元で進む人口減少、労働力の減少が成長力低下の最大要因との認識の下、その対策としての戦略軸は二つに絞られており、勿論、グローバル化と少子高齢化という構造変化の中での対応ということですから、それはこれまでとは次元を異にするような大きな改革が必要という事を示唆する処です。

その戦略軸とは、一つは‘労働力の減少に歯止めをかける’事、もう一つは‘生産性を引き上げる’事、としています。前者について具体的には、女性の就業率の向上、出生率引き上げを目指した税制にまで切り込んだ包括的な施策が提示されています。後者については、予て競争環境の強化こそが生産性の向上に資するものとし、改めて、企業の競争を阻害している規制の廃止・削減を進める事、要は規制改革の推進であり、規制改革こそが一丁目一番地、を再確認するものでした。周知の通り、これまで具体的進展を見る事の無かったテーマでしたが、今回は、関係省庁、業界団体の抵抗が強い「岩盤規制」と呼ばれていた雇用(労働時間、女性の雇用促進、等)、農業(農業組合の改革、等)、そして医療(混合診療の拡大、等)の分野での改革推進が、実施計画とも併せ、示されており、その点、評価される処です。が、要は実行の如何という事です。

規制改革に加え、企業の活性化への目玉政策として挙げられるのが企業減税です。これは、予て論点となってきたものでした。具体的には、アジアや欧州の主要国より高い現在の法人実効税率(平均36%)を2015年から数年間で20%台に引き下げると言うもので、今回はその方向性が明記されたと言うものです。これは国際競争の広がる現状からは、日本企業の競争力強化と言う視点、更には、外国企業の対日進出の促進と言う視点から実行されんとするものですが、これを裏返せば、法人税収の減少を賄うためにも新たなビジネスの創造を、というアクションに繋がるとするものです。その点では、規制改革で期待される成果も、税制面からサポートされることになるものと言える処ですが、政府税調辺りでは依然議論が続き、また消費税が上がり消費者が不利になっている矢先、企業には減税で有利になる、と反発もある処、これも安倍政権の実行力の如何が問われる処です。

いずれにせよ、各種規制の改革を通じて競争力ある産業構造に作り変えていく、言い換えれば構造改革ということですが、その点では、政治の出番を自覚した戦略といえる処です。

と同時に、企業も、新たな経済環境に応えていけるよう、つまりは持続的成長をめざし、従来の思考様式に囚われない、より創造的な姿勢で経営の合理化、深化を進めていく事が求められると言うものです。一方、こうした改革の推進と並行して、国としての支出構造の改革も不可避と言うものです。つまりは財政の構造改革です。然し、これには未だ具体的な戦略提案がなされていません。問題です。これは人口減少問題への対応とも重なる事案だけに時間を置くことなく戦略的な取り組みを示すべきと思料する処です。

発表の直後に行われた記者会見では、安倍首相は、法人税の構造を成長指向に変え、雇用を確保して行くとし、また「成長戦略にタブーも聖域もない。日本経済の可能性を開花させる為、いかなる壁も打ち破る」と断言し、同時に、政府が提出した成長戦略関連法案は約30本に及び、経済の好循環に向けた着実な取り組みを強調していましたが、問題は、それらが、如何にスピード感を持って具体化実施されていくか、にかかってくる処で、その点では、もはやノー・イクスキューズなのです。それにしてもメニューはてんこ盛りの様相、さて如何なものかと気にはなる処です。

・GPIF 改革 & コーポレート・ガバナンス強化

尚この際、注目されるのが、一つはGPIFの年金資金運用改革と、企業活動の活性化策としてコーポレート・ガバナンスの強化を謳っていることです。

前者については、冒頭、‘はじめに’で触れた通りで、130兆円と言う膨大な年金資金を擁するGPIFには、より効果的資金の活用を図るべしと、その資金の使途構成を見直すと共に、運営管理制度をも見直す、というもので、言うなれば米国カリフォルニア州の公的年金基金カルパース(CALPERS)をイメージせんとするものですが、とりわけ外国投資家からは評価される処です。

一方、コーポレート・ガバナンスの強化については、企業収益が大幅に回復し、手持ち資金も空前の規模に達している現在も、消極姿勢が変わらず、何よりも生産性向上への対応がほとんどなされていないのが問題と言うことで、企業統治の強化を成長戦略の柱に置いているのです。つまり労働から資本設備への代替が進んでいないという事、人的資源への投資も怠っているという事、で資金だけをため込むことでなく、こうしたリスク回避型経営を変えるべきを、訴えているのです。さもなくば、法人税減税効果も半減すると言うものです。もっとも、この辺になると企業経営への不必要な政府介入かと、いぶかられる処ですが。

因みに、6月27日は、3月決算企業、900社超の株主総会が行われていますが、今年の焦点はコーポレート・ガバナンスの強化でした。海外株主の存在が増すなか、経営を外部の視点から監視する社外取締役を導入する動きが広まっていましたし、買収防衛策が初めて秘訣されたケースもあった由伝えられています。つまり、企業の統治の在り方を巡り、株主と正面から向き合う企業統治の「改革元年」になったと言われる所以です。社内の利害を超え、外部の視点で経営を判断する社外取締役の存在が、日本企業でも「標準」になってきたと言うことでしょうか。

さて、新成長戦略が閣議決定されたこの後に続くのが、後述、集団的自衛権の解釈変更についての閣議決定でした。

(2)「アベノミクス第2章起動宣言」

さて、新成長戦略の決定を見たこの夏、それをフォローするように、安倍晋三首相は文藝春秋9月特別号に手記を投稿しています。そのタイトルは「アベノミクス第2章起動宣言」。そこでは、人口減少等、構造的課題への取り組みについて、人口を1億人で食い止める事や、女性パワーの活用だの、諸解決策が語られていました。また地球儀俯瞰の外交だとして、これまで47カ国、訪問外交の成果を謳っていました。そして‘頑張れば報われる’思想をも謳いあげています。そして最後に「日本を取り戻す」ための歩みを進めたいと、締めるものでした。

しかし、何故か‘ストンと胸に落ちることはなかった’のです。と言うのも、「日本を取り戻す」と言う言葉ですが、これが、これまでの‘高成長’に戻る事を目指すものとすれば、それは再び20年来の不況を生んだプロセスを追うことになるからです。
人口減少という構造的課題を抱える日本経済を今後とも持続可能なものとしていく為には、今までの行動様式、思考様式ではやっていけなくなることは、20年来の不況を通じて既に学習してきたはずです。つまり、その為には発想の転換が不可欠と言うものです。が、当該手記にはそれが見えてこないのです。要は、成長戦略もそうですが、日本と言う国を、どのような色に染めていこうとしたいのか、ここでも言うなれば国家観の欠如を痛感させられると言うものです。


4.日本の‘国のかたち’が変わった

・集団的自衛権行使容認

さて、2014年7月1日は、日本という「国の‘かたち’が変わった日」として銘記される処となりました。云うまでもなく、軍事行動を禁止している憲法9条について、その解釈を読みかえることとし、集団的自衛権行使(海外で他国の為、或いは他国と一緒に軍事行動を起こすこと)を容認する旨を安倍晋三内閣は、7月1日の閣議で決定したのです。戦後、戦争放棄を世界に宣言し、安全保障は専守防衛、civil power、soft-powerを持って臨むことを国是として歩んで来た日本でしたが、今後はmilitary powerをもってことに臨む、戦争することが許される国となったのです。

安倍政権が、憲法解釈変更で集団的自衛権の行使容認したことについて、内外の見方は、賛成反対は、ほぼ同率となっていますが、これまでの安倍晋三首相の行動様式からは、これが‘安倍晋三リスク’と映る処で、ことの推移如何では折角回復の道を歩みだした経済にも影を落とすことにもなりかねません。

・海外メデイア評

因みに、7月3日付Financial Timesでは、集団的自衛権行使容認の閣議決定について、‘ほぼすべての国は 「専門的に集団的自衛権として知られる権利」を保有しており、安倍首相の国家主義的なレトリックには嫌悪するかも知れないが、日本のやった事は、ただ「普通」の国になることにほんのちょっと近づいただけ’と、コメントする一方、NY Timesでは、‘日本は軍国主義に向かう’と、米英、対照的なコメントが伝えられる処でした。

ただ、Donald Keene氏は、憲法第9条は「The glory of Japan (日本の誇り)」ともされるものだけに、これを修正ではなく解釈を見直すことで、安倍首相はほぼ間違いなく負けたであろう国民投票の必要性を回避したが、これはdevious,つまり正道をはずれた、ごまかしでなかったか、と問うのです。つまり、これほどに大きな変更について、国民的議論が不足したまま‘政府だけ’で意思決定したことに疑問を呈するのです。と同時に、ある男性が憲法解釈変更に抗議して自分の体に火をつけた事件が報道に値すると考えたメデイアがほとんどなかったことが心配だ、とも指摘するのでした。そして、もう一つ、憲法解釈の変更が国会で承認されたとして、安倍首相は新たに勝ち取った自由で一体何をしようとしているのか、とも問うのでしたが、筆者の心に迫る処です。

閣議決定後の記者会見で、安倍晋三首相は自衛隊の海外派兵はない、と断言していたのですが、8日、訪問中のオーストラリでの国会インタビューでは、皆さん(オーストラリア軍隊)と一緒になって戦う準備ができた、と発言しているのです。内と外で、発言が異なるのは如何なものかと、疑問は残るばかりです。かつて、中曽根内閣時代、米国から国連が認める集団的自衛行動に参加するよう要請があった際、当時の後藤田官房長官は、いかなる限定的行動であれ、これは蟻の一穴となる、として絶対反対に回り、中曽根首相はこれを受け入れた経緯がありましたが、瞬時、思い起こす処です。

それにしても、敗戦国家日本が戦後経済大国になれたのは軍事大国への道を避けたからで、安保論議に経済の視点が欠落していることが大いに気がかりと言うものです。例えば、米中関係について言えば、いろいろ難しい問題があるとはいえ、冷却することがないのは米中経済の深い相互依存があるためです。グローバル経済の時代にあって緊張を防ぐ近道は遠まわりに見えても、経済の相互依存を深めることと思料します。戦後、敗戦国の日本が経済大国になれたのも、色々事情はあったにせよ、軍事大国への道を避けてきたからこそ、なのです。日本の財政の困難な事情をも併せ勘案するとき、この路線を踏み外すこととなるような行為は容認できるものではない筈なのですが・・・。
折角、今回の新成長戦略については海外からも高い評価を得ながらも、その政治姿勢への懸念が募る状況からは、アベノミクスの加速は難しいのではと危惧されると言うものです。


5.安倍晋三政権の罠

・オフ・ターゲット(Off target )

さて8月26日付、英紙Financial Times は、これまでの安倍晋三首相の行動様式に照らし、`Off target’ (的を外すアベノミクス)と題し、かつて絶大の支持率を誇った「アベノミクス」の提唱者、安倍首相はいま厳しい状況にあるが、その要因は、彼自身にあると、次のように云うのでした。

つまり、‘安倍首相は、民意をよく介することなく、世間の人々には好まれていないことの実現に政治資源をふんだんに使っていることにある’と言うものです。具体的には、憲法9条(第1項)の解釈改憲、そして原発再稼動の推進対応を指す処ですが、それ以上に安倍首相にとって最大の政治的資産だった経済政策に対する不満、疑念に真正面から向き合う事がないことにあると言うものでした。言い換えれば、それは政府の政策と国民の期待の間にギャップが広がりつつあるという事でしょうか。とすれば、そこには「国民のため」が欠落していると、結論されるという処です。まさに安倍政治の罠、と言う処です。

・安倍改造内閣

こうしたメデイア評を知ってか、知らずか、安倍晋三首相は人心の一新と、9月3日、内閣の改造を断行しました。彼が云う「日本を取り戻す」に向けた改造という事の由で、地方創生相や、安保法制相、女性活躍相の新設など、重視する課題へ全力投球する姿勢を示したものと、評される処でした。

序でながら、海外の反応は、どうだったか。その直後、9月4日付の米Wall Street Journal では、` New cabinet aims to advance economic goals, raise military profile ‘と、経済改革の目標の達成を目指す人事とする一方で、軍事力の強化を目指す姿勢を映すものとし、また同じ4日,Financial Times では‘Abe keeps cabinet conservative ‘ と、保守化を強める安倍政権への危惧を伝えるのでした。又、The Economist(Sept.6) では、近時の経済指標、とりわけGDP指標の現状を踏まえ、安倍首相の政権運営に対する評価の低迷克服を狙った人事とする一方、修正主義者の入閣を進めていると、政権の右傾化を懸念するものでした。
 
・安倍政権リスク - 女性大臣辞任、消費増税、原発再稼動

処で、改造内閣発足後、僅か50日のタイミングでハップニングが起きました。「女性が輝き働く社会」をスローガンに掲げる安倍晋三首相は、今回の改造人事では、目玉人事として、5名の女性大臣を配したのです。カンバン娘という処でしょうか。然し、その内、二人の女性大臣、小渕優子前経産大臣と、松島みどり前法務大臣が10月20日、同時に、辞任に追い込まれたのです。その背景にあるのが不透明な会計処理問題、等、言うなれば政治とカネの問題でしが、それには、今再びと天を仰ぎたくなるものです。このほかにも安倍政権で追及を受ける閣僚が続く様相にあるのですが、すわ、利益誘導型の「古い自民党」の復活かと、安倍晋三首相のガバナンスが、従って政権運営姿勢が再び問われだしたというものです。因みに、大臣の辞任があった直後の世論調査では、内閣支持率は48%と50%を切るまでに至っています。(日経、10月27日)

加えて、来月、12月には、消費税増税問題について政策決定が予定されています。勿論、
安倍晋三首相は経済指標を見極めたうえで決定するとしています。しかし、経済指標もさることながら、これら‘政治指標’からは極めて難しい状況に追い込まれてきた様相にある処とみられるのです。仮に、増税を決定すれば、回復基調を示し出した経済に水を浴びせることになる事、必至でしょうし、そうなれば、これまでの政策努力は決定的なダメイジを受けること予想される処です。然し、仮に引き上げが延期されるとなれば、財政規律
はどうなのかと、日本経済の脆弱性が再び取沙汰されることになる筈です。
世界経済の景気停滞が再び云々される中、円安の進行、輸入価格の上昇で円安倒産も増え、いつしか円安批判が高まる気配ともなっています。つまり、安倍首相を政権の座に押し上げた円安が、政権基盤を揺さぶり始める状況が生まれてきたというものです。

その他、原発再稼動問題、集団的自衛権行使にかかる法整備、等々、安倍政権の運営を巡るリスク環境は急速に厳しさを増す処となってきています。どうもアベノミクスは今、正念場を迎えたと、思えてなりません。

・戦略行動、今一度

そうした中にあって、なお重要な事は、現下の経済を確実に持続可能なものにしていく事、の筈です。その点、残された手があるとすれば、それこそは‘規制改革を徹底的に進める事’、そして、それを介して構造改革への道筋を実践的に示していくこと、それしかないのではと思料するのです。併せて、日本経済への信頼を確保して行く為にも、財政健全化への姿勢の堅持を確認する事、そして、その姿勢を既に指摘されている2020年度黒字化に向けた工程表として明示していく事と思料するのです。勿論これが、現下においてはデフレ効果への配慮が必要とされる処でしょうし、関係団体、組織等のinterestも絡み、簡単ではないことでしょうが、この二つは同じcontextにある処、とにかく具体的アクションを起こすこと、と思料するのです。

安倍晋三首相のこれまでの行動を、時系列を追ってみていくにつけ、いまやon the brinks、 瀬戸際に追い込まれてきた、とその感を強めるばかりです。もはやアベノミクスどころではないと言う処でしょうか。


おわりに:富国裕民
 
処で、アベノミクスには、そのモデルとなる人物の存在があったのです。それは安倍首相が「自分を勇気づけてやまない先人」と、する人物、高橋是清です。彼は、昭和初期、デフレ不況にあった日本経済を、いわゆる「高橋財政」を以って、克服した財政家であり、政治家でした。アベノミクスは第1の矢、第2の矢の金融財政政策では、まさに、その高橋が取った財政政策に倣うごとくと、いうものです。ただ、その彼は、日本経済の回復に努力した財政家であり政治家でしたが、その努力は国民の生活向上に向けられていたのです。あの軍国主義の時代にあって、彼は、大蔵大臣として軍事予算の削減に努め、それ故に軍部からは疎まれテロの犠牲になったのですが、富国強兵でなく、常に彼は‘富国裕民’を旨として行動したとされています。さて、安倍晋三氏は、モデルになった男「高橋是清」に学び、日本国民と共に、どのように歩もうとしていたのか、質してみたいと、思いは深まる処です。                         
以上




[ 資料1] アベノミクス第3の矢:成長戦略の概要 (2013年6月13日)
[ 1 ] 日本産業再興プラン(ヒト、モノ、カネを活性化する-日本の産業を強くする
1. 産業の新陳代謝の促進      2.雇用制度改革・人材力の強化
3.科学技術イノベーションの推進  4.世界最高水準のIT社会の実現
5.立地競争力の更なる強化     6.中小企業・小規模事業者の革新
[ 2 ] 戦略市場創造プラン -新たな成長分野を切り開く
1.国民の「健康寿命」の延伸        2.安全・便利で経済的な次世代インフラの構築 
3.クリーン・経済的なエネルギー需給の実現 4.世界を引き付ける地域資源で稼ぐ地域社会の実現
[ 3 ] 国際展開戦略 - グローバル経済で勝つ
1.戦略的な通商関係の構築と経済連携の推進  2.海外市場獲得のための戦略的取組
3.我が国の成長を支える資金・人材などに関する基盤整備

[資料2]  新成長戦略の概要 (2014年6月24日)
1.「骨太の方針」の主なポイント:
(1)経済再生の進展と中長期の発展に向けた重点課題
・女性の活躍をはじめとする人材力の充実・発揮
・イノベーション促進等、民需主導の成長軌道への移行に向けた経済構造改革
 ・魅力ある地域づくり、農水産業・中小企業等の再生
・安心・安全な暮らしと持続的可能な経済社会の基盤確保
(2)経済再生と財政健全化の好循環
 ・財政健全化目標:20年度までに基礎的財政収支の黒字化
 ・法人税改革:法人実効税率(現行:35.64%)を20%台に引き下げる
 ・社会保障改革 ・社会資本の整備
2.規制改革 ― 産業発展のために規制改革は不可欠(規制改革会議)
・医療制度改革:保険外併用療養費制度(混合診療)の改革
・雇用制度改革:労働時間規制の緩和―多様な働き方の拡大
・農業改革:全国農業協同組合中央会(JA全中)の廃止(3~5年経過)を柱とする農協改革(農業就業者人口は現在、240万、ピーク時の6分1)、株式会社化の促進
・電力販売の自由化:2016年より全面自由化実施(6月11日参院で成立)、7兆円市場。電力事業参入事業者、電力販売事業者との組み合わせ等、新ビジネスの形成

・年金運用改革:GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の年金基金(12
8億円)運用の見直し(株比率引き上げ)を9~10月に前倒し的に実施(アベノミクスに伴う成長
や株価上昇の果実を取り込みやすい運用に変えると言うものだが、リスクは高まる処。)同時に、年金
給付制度の見直しの実施。― 成長の果実を基金の運用資金への取り込み、運用のリスク分散、と。
                                             〆
posted by jtta at 12:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする