安倍首相は、11月21日,任期満了まで2年を残して衆議院の解散に踏み切り,自ら[アベノミクス解散]と命名した。また12月に決定する予定になっていた来年10月からの消費税率2%引き上げを見送った。自公連立与党の対立軸をめざす選挙体勢の構築でもたついている野党が虚を突かれたことも否めない。「解散の大義はない」と、この決定を批判し、「身勝手解散」、「増税失敗解散」などとごろ合わせするのは精いっぱいである。詳しくは後述するが、今回の安倍首相の決断は、勝負どころにさしかかっているアベノミクスの本丸、「第三の矢」の遂行に不可欠な長期安定政権と政治的リーダーシップを強めることをめざしている。過去の政権が繰り返してきた失敗の学習効果が出たというべきではなかろうか。
*因みに11月22日のThe Economist誌は、選挙民はもう一度安倍首相にチャンスを与えるべきである、と今後4年間の政治力を強固なものとする今回の選挙の意義を的確にとらえている。
ところで景気はどうなっているか。11月18日に発表された今年第三四半期のGDP速報値は、実質の年率換算で前期比マイナス1・6%となり、第二四半期のマイナス7・1%から連続してマイナス成長と、景気は失速状態にあることを示している。過去に繰り返されてきた、円安―輸出拡大が景気回復の主導役となるパターンが今回は機能していない。しかし、有効求人倍率の上昇と一部職種に人で不足のみられること、大企業で久しぶりに賃上げの動きが出ている。輸出関連企業の収益が好転し設備投資にも動意が見られるなど、これまでになかった景気回復を示す指標も出はじめている。
遡って日銀は、10月31日に追加金融緩和を行い、来年4月までに物価上昇率を2%に引上げる目標堅持という意思を改めて確認しながら、「景気は緩やかに回復している」という判断を示している。
ともあれ年末の総選挙は、まず2012年12月の安倍政権発足以来実行されてきた、「デフレからの脱却」と「日本再生」をめざす、アベノミクスの評価と安倍政権の信任を問う選挙となる。今年4月以降の景気が「想定外」の展開をはじめた原因は、今年4月の消費税3%増税の結果である。4月以降の消費が、その前の「駆け込み消費」の反動を考慮しても予想以上の落ち込みとなり、さらに大幅な円安の進行による輸入物価上昇と実質賃金の目減りが、消費の低迷に追い打ちをかけている。
景気判断が何故間違ったのか。アベノミクスの政策ブレインの一人、内閣府官房参与の浜田宏一エール大学名誉教授は、昨年11月に出版した著書のなかで次のように述べている。「2014年4月に消費税率を5パーセントから8パーセントへ、3パーセントも引き上げるというのは、かなり急激な変化です。これだけの大幅な引き上げは、他国でもほとんど試されていません。私は賛成しかねます。まして、現在は、日本経済が、15年以上続いたデフレと不況から立ち直ろうとしている大事な時期。予定通りの消費税引き上げは、総需要の減少に加え、資源配分を阻害するおそれがあります。引き上げるにしても、アベノミクスによる経済回復の足を引張らない形、たとえば1年ごとに1パーセントずつといった形で漸進的に行うべきであるというのが私の立場です。」しかし、当時、日本の政策担当者、メディア、学者などの大半は、浜田とは反対の立場、つまり12年7月の法律で決まった通りに一挙に消費税を引き上げるべきである、と主張していたのである。
*浜田宏一『アベノミクスとTPPが創る日本』(講談社)、2013年11月、pp 98-99。浜田は、今年11月4日に開催された、増税の是非を有識者に聞く政府の集中点検会合に出席し、「再増税を延期すべきだ」と断言している。新聞報道によれば、この会議に出席したメンバー、すなわち地方自治体、労働界、財界、中小企業団体、消費者団体の各代表は圧倒的多数が「増税やむなし」と説いている、この背景に財務省の意向が見え隠れするが、さらに、同省に受けの良い学者が出席し、「増税見送りの政治コストが大きい」と政治論まで引張り出したり、脱デフレ政策を聞かれると、「1,2時間では説明できない」と逃げたという。(産経新聞、11月26日)
さらに浜田は、日本は世界にまれな財政危機にあることは確かだが、「このままでは政府が破産に近い状態になってしまう・・・国際市場はもとより、社債や株式市場でも、日本に対する信頼がなくなる。消費税増税を躊躇したり引き延ばしたり、アベノミクスにも信憑性がなくなってしまう」という主張は、財務省の意図的な刷り込みである、と指摘している。こうした「洗脳」が、財務省に異を唱える勇気のない学者や。(減免税率がほしい)新聞によってさらに広まっている。彼は、ひとつの省庁が人々の考え方を作り上げる「認識捕囚」が起こっている、とも述べている。
*浜田、前出、pp100-101.浜田は、消費税増税と財政再建について、先ず問題となるのは、増税によって失われるGDPや日本経済の失速の懸念であり、消費税増税による財政再建はその後だというのが外国の共通認識だとも指摘している。
12年7月に、当時の民主党野田政権のもとで野党だった自民党、公明党との間に合意が成立し「社会保障と税の一体改革関連法案」が成立した。この3党合意の背景に、財務省の強い影響力と徹底した情報操作があったということは周知の事実のである。ともあれ法律によって、消費税は5%から1014年4月に8%に、そして15年10月に10%に引き上げることが決まったのである。消費税率引き上げの背景には、毎年1兆円ずつ増加する社会保障関連費を賄い、税収を超える国債発行が続くという危機的な国家財政を改善するための第一歩という認識があったことは言うまでもない。しかし具体的な問題、例えば社会保障でいえば年金、高齢者医療制度などについて、政党間の意見対立は解消されておらず、新設する社会保障制度改革国民会議に議論を委ねられている。また消費税の引き上げについても、引き上げ予定時に景気の状態が悪ければ、引き上げ幅や引き上げ時期を見直すとする「景気条項」が付けられていた。
また、ノーベル賞経済学者のP.クルーグマンプリンストン大学教授は、今年11月2日付ニューヨークタイムスのコラム記事「Business vs Economics」で、10月31日の日銀の追加緩和を肯定的に評価しながら、以下のような彼の持論を繰り返している。すなわちビジネス出身のリーダーは、国の経済が危機に瀕した時に間違った判断をし、それが致命傷になりかねないという警告である。彼らは財政赤字が最大の脅威であり、その解決が何よりも優先すると主張するが、財政支出入の対象は国民であるのに対し、企業の売り上げは殆どが従業員以外の外部顧客である。不況、つまり需要不足の時に財政再建のためにする増税は、従業員を削減しコストを切り詰めて競争力を回復するという不振経営立直しの定石とは、逆の経済効果をもたらし、需要不足をより深刻にする。企業で奏功する対策が、国レベルでは問題を一層深刻にするのである。P.クルーグマンは、インテリ風学者タイプ(pointy-headed academic types)のリーダーには気をつけろとも述べている。
*昨年9月4日の拙稿「アベノミクスの検証―消費税増税をめぐる論点整理のためのノート」を参照されたい。アベノミクスの目的は、「デフレ脱却」であり、そのためには錯綜した不確実な環境のなかで「First things first」というマネジメントの鉄則を守ることが大切だ、と述べた積りである。
②「アベノミクス」の評価
さて、安倍第二次内閣の発足から2年間が経ち、来年の消費税10%への引上げを2017年に延期したことで景気失速の懸念は薄らぐだろうが、アベノミクスについてさまざまな評価がなされている。「成果は途半ばだ。行き過ぎた円高の修正によって雇用や所得の改善につながったものの、個人の消費や企業の投資が増え続ける好循環には至っていない」(日経朝刊、11月22日付)というのが公約数的な見解ではなかろうか。つまり、デフレから脱却する兆しは見え隠れしているが、アベノミクスの本丸といわれる「第三の矢」成長戦略が遅れており、しかもこの戦略が効果を出すためには時間がかかるからである。従って、詳しく触れる事は出来ないが、現段階での評価は、「何をどういう視点から捉えるのか」という、問題と立脚点によって大きく異なることに注意しなければならない。単純に現段階の状況を見て、「失敗」だとか「成功」といってみてもそのことに合理的な意味はない。ましてや長い時間を必要とするアベノミクスの評価を急ぎ、「たらいの水と一緒に赤子を流してしまう」ことがあっては元も子もないのである。
「経済学的にはリフレ派と称されるアベノミクスは理論的に正しいのかどうか」、「格差拡大や円安の痛みが大きく、成果は大企業に限られて国民全体に行き渡るには時間がかかる」等論点はさまざまだが、アベノミクスの本筋から逸脱した議論を振り回し混乱させる学者も少なくない。改めて強調したいのはデフレで名目GDPの縮小という長期の病気に罹った患者を、病理学者が、臨床医を気取ってみても病気はよくならないどころか病状診断も覚束ないということである。
*例えば、伊東光晴『アベノミクス批判 四本の矢を折る』(岩波書店)、2014年7月。伊東光晴京都大学名誉教授は、アベノミクスのリフレ政策は、実証性を欠いた経済理論に立脚しており、さらに日本経済が直面する長期停滞の根本原因が人口減少にあるとして、明確に反対の立場から批判している。さらに同書の「おわりに」のなかに、次のような一節がある。「安倍政権は、その実行力という点ではかなりのものである。目的のためには手段を選ばない、権力主義的な政治行動を是認するマキャベリズムだと考えて間違いない。・・・経済学者ケインズが求めたものは、経済的効率と社会的公正そして他に寛容な個人的自由であった。そのいずれをとっても質を異にする複数の理想である。それゆえに、その達成には、手段が問題となるのであり、その手段いかんが大切になるのである。」
「マキャベリズム」という言葉は、『君主論』が論じている当時のイタリヤの政治状況を無視して独り歩きし誤用されることが多い。「君主が信義を守り、誠実に奸策を用いずに生きることがいかに賞賛すべきことであるかは誰もが知っている。にもかかわらず毎日の経験からすれば、信義など無視し、奸策でもって人々の頭脳を騙している君主のほうが、大事業をなしてきている。しかも最終的には彼らのほうが誠実である君主を圧倒している」と、リアリストのマキャベリは君主に向かって説いた。安部首相の評価は、彼の政治スタイルが、「マキャベリズム」かどうかではなく、彼が何を成し遂げたのかという成果との関連で評価されるべきではなかろうか。(家田義隆『マキャベリ―誤解された人と思想』(中公新書)、1988、第三章)
繰り返すが、アベノミクスには即効的な部分と3-5年、さらには10年の長い時間を必要とする部分(意識改革や制度変更など)がある。「第一の矢」、すなわち「大胆な金融政策」によって2%の物価目標を達成すること、について言えば、政府・共同声明(2013年1月)、デフレ脱却に積極的な黒田東彦新日銀総裁のもとでの量的・質的緩和策の実施(2013年4月)と、着々と実行されている。その結果、物価上昇と為替レートの円安が同時に進行しはじめ、株価が上昇するなど「期待した効果」を挙げてきた。次に、「第二の矢」、すなわち「機動的な財政政策の実行」については、「日本経済再生に向けた緊急経済対策」(2013年2月)、2013年度予算(同年5月)が成立し、さらに2014年2月には消費税増税の影響を軽減する目的で「好循環実現のための経済対策」が成立している。
「第三の矢」については、日本経済再生本部や産業競争力会議で議論が進められ、新たな成長戦略「日本再興戦略」が2013年6月に閣議決定され、同年秋の臨時国会で関連法案の一部が成立した。さらに2014年6月には、労働市場改革、農業の生産性拡大、医療・介護分野の成長産業化に力点が置かれた「日本再興戦略」改訂2014が閣議決定されている。しかし具体的な思索の決定には至らず時間がかかっている。それぞれのテーマが、「改革」に絡む既得権益と政治家の利害が入り組んでおり、安定した長期政権と強力な司令塔なくしては、理屈だけでは実現しない。20年以上続いてきた改革論議とその失敗の繰り返しがこのことを証明しているといえる。
そして、すでに述べたが、デフレ脱却と財政再建という全く異質の政策目標が混在しているために首尾一貫したデフレ脱却への道が描き切れない。案の定、消費税が8%に引き上げられた結果、日本経済は「想定外」の2期連続マイナス成長に陥ったのである。
*アベノミクスに関する最新の状況把握については、片岡剛士『日本経済はなぜ浮上しないのかーアベノミクス第二ステージへの論点』(幻冬社)、2014年11月、を参考にした。
さらに浜田は、「消費税を社会保障のために増税するというのに、『増税』以外の話を全く聞いたことがないというのは大問題です。歳出をきちんと減らし、無駄のない健全な予算をつくるための具体策が、ろくに議論されていない。また、高度成長の影響で中高年層に富が偏り、うまくお金が若い世代に流れていない問題への対策も進んでいません」と、現在の、消費増税と財政再建問題の接近方法に基本的な問題を投げかけている。
*「アベノミクスはこのままでは崩壊する」、文芸春秋26年12月号、p114。さらに、田中秀明明治大学教授は、日本の国家予算制度と財政規律について、世界の水準からかなり遅れているとして具体的にその問題点を論じている。(田中秀明『日本の財政』(中公新書)2013年)
それにしても、先進国で最大の財政債務を抱える日本が、この様な予算制度や財政規律の見直しに優先的に取り組むことを怠り、何故過去20年改革と云いながら、増税に焦点を当ててきたのか、この代償、コストは計り知れないものがある。因みに、日本経済新聞編集委員の清水真人が、昨年8月に出版した『消費税―政と官との「十年戦争」』(新潮社)は、今回の「消費税10%」を推進した政治家、財務省幹部達に焦点を当てながら、その経過をドキュメントとしてまとめたものである。清水は、彼らが、12年夏の増税関連法案成立のために膨大な政治的エネルギーを蕩尽した、と述べている。野田佳彦前首相は同年12月の参院選で歴史的な敗退を喫し、民主党政権転落の戦犯となった。またカウンターパートだった自民党の谷垣前自民党総裁も、現下の政局で影が薄く、首相を経験しない自民党総裁として歴史にその名を留めることになった。国会対策で獅子奮迅の働きをした財務省幹部は、増税関連法案成立後病魔に襲われ長期間の療養を迫られた、と指摘している、増税の政策決定のプロセスについても徹底的に解明し問題点を明らかにする必要があろう。
③アベノミクスのプロセスとマネジメント
アベノミクスは、「雇用と生産を回復すること」を第一目標としたものである。浜田によれば、そのためには「雇用されている人々が、実質賃金の面で少しずつ我慢し、失業者を減らして、そのことが生産のパイを増やす。それが安定的な景気回復につながり、国民全体の購買力をアップさせ、みんなが豊かになる。それがリフレ政策でありアベノミクスです」ということになる。
アベノミクスがめざす日本経済再生の目標はこの通りかもしれない。しかし、そのために「三本の矢」をどう実行していくのかシナリオもなければ、達成に向けてプロセスをコントロールするマネジメント能力についても議論は殆ど進んでいないのが現状である。そのために必要な時間、政治的エネルギーは莫大になると予想される。
*浜田宏一、前出、p93。
デフレ下での経済改革と財政再建の取り組みは、今回のアベノミクスがはじめてではない。1996年1月、橋本竜太郎内閣が発足するが、橋本首相がめざしたのは、21世紀の少子高齢化社会をにらんだ「日本の立て直し」であり、そのための赤字で膨らんだ財政再建と「六大改革」であった。すなわち、行政改革、財政構造改革、金融システム改革、経済構造改革、社会保障構造改革、教育改革である。その嚆矢として、同年11月「日本型金融ビッグバン構想」を発表し、バブル崩壊で傷んだまま不良債権問題の処理を先送りしてきた日本の金融システム、つまり大蔵省(当時)の下にあった護送船団方式の抜本的な改革であった。都市銀行の一角を占めていた北海道拓殖銀行は自主再建を断念し北洋銀行に営業譲渡した。事実上の破綻である。また1998年には日本長期信用銀行が経営破綻し、一時国有化された後新生銀行と名前を変えて再スタートした。1997年末には大手証券会社として伝統を誇る山一證券が自主廃業を決定している。そして1998年4月には大手銀行21校に約1兆8000億円の公的資金が注入されたのである。
橋本内閣は、財政改革にも積極的に取り組んだ。1997年4月には、あらかじめ法律化されていた消費税を3%から5%への引き上げに踏み切った。しかし、この結果、駆け込み需要の影響もあって1996年には堅調な成長を見せていた日本経済は、1997年度第一四半期の実質経済成長率は年率換算でマイナス11・2%と大幅に落ち込んだのである。特に消費の落ち込みが大きかった。1998年7月の参院選挙で自民党は惨敗し、橋本首相は責任を取って退陣、小渕内閣が発足する。しかし、日本経済はデフレスパイラルの危機に陥り、思い切った財政出動をするために「財政構造改革法」を凍結せざるを得なくなる。この間の詳しい経緯は省略するが、要するに大蔵省(当時)の主導の下に、大蔵省の書いた筋書きに従って行財政の運営を行ってきた「日本株式会社」のシステムが機能不全に陥ったことが白日の下にさらされたというべきであろう。
*詳しくは、例えば日本経済新聞社編『検証バブル 犯意なき過ち』(日経ビジネス人文庫)、2001.
橋本内閣で総理大臣秘書官(政務担当)として行財政改革に取り組んだ江田憲司{維新の党共同代表、前衆議院議員}は、当時を振り返って示唆に富む指摘をしている。「なぜ真の『改革』をしなかったのか。それがまさに行革の原点なのだ。公共事業だって、旧態然とした配分が十年一日の如く変わらないのはなぜか。『司令塔』がないからである。政治の主導性がないからである。・・・経済金融政策に国全体のことを考えて指令をだす仕組みがなく、ただひたすら既得権益にすがり、改革といってもその延長線上でしか考えてこなかったツケが今出ているのである。政治や国政の場においては、目先の利益ばかり追っていては長期的利益を失うこともある。長期的利益にためには、たとえ短期的には国民に不人気な政策であっても貫き通さねばならないこともある。」
*江田憲司『誰のせいで改革を失うのか』(新潮社)、1999、p249.日本が長期デフレに悩んだ原因が「マクロ経済政策決定の権力構造にあった」という視点から分析した、外国研究者の成果として、例えば、W.W.グライムス(太田赳監訳)『日本経済失敗の構造』(東洋経済新報社)、2002がある。
さらに江田は、日本がめざすべき方向についても見解を述べている。「これからは、好むと好まざるとにかかわらず、『政治の時代』である。ただ、そうは言っても『政治と霞が関の間隙』は、しばらく埋め切れず続くのかもしれない。しかし、それは民主主義の、ある意味では一種のコストであり、これを乗り超えて初めて、日本は『戦後民主主義さえも輸入した』という歴史的段階から一歩先に踏み出す歴史を新たに歩み始めることになるだろう。この民主主義の世界で、レジティマシー(正統性)を持つのは、国民に選挙で選ばれた政治(政治家)のみであり、国や国民の運命もそれに託されてこそ、それがバラ色のものになろうと、崩壊の危機に陥ろうと、最後は納得できるものだからだ。そして、霞が関は本来の場所にもどり、その矩をわきまえていく。その役割が矮小化するのではない。国家国益を担う『大きな政治』を支えるという性格に特化するということなのだ。」
*江田憲司、前出、p29。
改めて「三つの矢によって日本経済の再生をめざす」という目標の下で2年が経過した安倍政権の直面する問題は何か。「真の改革とは何か」が問われなければならない。さらにいうまでもなく政策は、単に策定段階での是非ではなく、実行のプロセスが重要であることを改めて銘記すべきであろう。途半ばの段階にあるアベノミクスを、現段階でどう評価するのか。比較すべき適当な事例も、評価の準拠についても見当たらないが、ただ経営の分野には沢山の事例と、その分析、研究の成果がある。そこで、観点を変えて「深刻な経営不振に陥った巨大企業の再生」の事例研究に焦点を当て、アベノミクスに必要なリーダーシップについてヒントとなる論点を整理してみよう。
1970年代から80年代にかけてアメリカでは、戦後の成長から成熟への転換を迫られた多くの巨大企業が、「再生(Remaking)」という課題を抱えて試行錯誤していた。しかし、多角化した事業、肥大化した重層的な官僚組織を抱えこんだ巨大企業にとって、この新たな挑戦は難題であり成功した企業は限られていたのである。それまでの創業、成長の時代とは全く問題の性格が異なっていたからであり、リーダーの資質も創業・成長の時代とは異なっていたからである。再生のリーダーは、慣れ親しんだ事業からの撤退や従業員の大胆な削減など、困難で不愉快な決断を次々に迫られる。しかも決断から成果が出るまでに時間がかかり、その間、社内外の批判や中傷に晒され、それに耐えなければならない。反対派との権力闘争もしばしば起こる。他方で従業員を活性化する意識改革、新規事業の育成も手抜きできない。この再生のプロセスを仕切ったリーダーは、「挑戦的な目標と達成基準を定め、その進捗状況を監視し新たな状況に適応する厳しい規律と冷厳さ」(highly disciplined and relentless about setting and monitoring progress towards demanding performance standards)を併せ持つ、強力なリーダーシップを必要としたのである。当初目標からブレることのない、首尾一貫した決断と行動が求められた。プラグマチストでなければならないが、暗いトンネルを抜けたら光が見えるという信念の持ち主であり、楽観主義者であった。
*N.Nohria,D.Dyer and F.Dalzell, CHANGING FORTUNE , John Wiley & Sons, Inc.,2002
この再生のリーダーの一例が、1981年に伝統企業ジェネラル・エレクトリックのCEOに就任したJ.ウエルチである。主流の財務畑出身ではなく傍流の化学工学エンジニアから頭角を現した彼は、電燈を発明したエジソンが創立した伝統あるアメリカ大企業に対し、大胆に大ナタを振るう。官僚的組織を解体し、大胆な事業の選択と集中を行った。社員の意識改革にも取り組んだ。彼がめざしたのは世界で最も競争力のある企業に変革することであり、そのために危険な賭けもいとわなかったのである。奮闘する彼につけられたあだ名が「中性子爆弾のジャック」だった。この強烈な破壊力を併せもつリーダーが率いるGEは、1990年代初め10年の歳月をかけて遂に目標を達成した。従業員は25%縮小したが売上高600億ドル、利益45億ドルで15の事業部を持つアメリカで最も強力で巨大ま複合企業として再生し、J.ウエルチは内外の賞賛を浴び名経営者と称されるようになったのである、しかし、ライバル企業のウエスチンググハウスも同じ時期に再生にむかったが、失速し、分解され他企業に買収されて終わっている。(ロバート・レスター『GEの奇跡』(同文書院インターナショナル)、1993)
④アベノミクスとイノベーション
総選挙に訴えることによって、国民の支持を背景に、霞が関とその影響下にある族議員に対する「政治のリーダーシップを確立する」という手法を採用した事例として、小泉純一郎首相が国会開催中に行った2005年8月の「郵政解散」がある。安部首相は、消費税増税をめぐる財務省とその影響下にある自民党および野党議員との政策論の対立に関連して、この小泉首相の前例を意識していたといわれる。
*日本経済新聞2014年11月21日付。
小泉首相は、予め国会期中でも郵政法案が否決された場合は衆議院を解散して総選挙を行うことを明言していた。そして実際にブレることなく言葉通り衆議院を解散した。また法案に反対投票をした議員には自由民主党の公認を与えず、郵政民営化賛成派候補を擁立したのである。この突然の解散について「自爆解散」、「干からびたチーズ解散」などと様々な命名が行われたが、「官から民へ」という改革を進めるために、反対派を切り崩し政治的リーダーシップの確立をめざした小泉総理の真意とその政治的意味を理解すべきであろう。今回の「アベノミクス解散」は、この小泉首相の手法を前例として決断された解散であった。安部首相は、これから日本再生のための本命、「第三の矢」を成功させるためには、長期安定した強力な政治的リーダーシップが求められることをよく理解している。それを、現段階で失敗だ、成功だと一喜一憂するのは時期尚早である。「解散の大義がない」というのも間違いである。マキャベリストだと非難するのは根拠の薄弱なレトリックであり、「レッテル貼り」である。
ところでアベノミクスは、これからいよいよ「岩盤規制」の撤廃、改革をめざす成長戦略に入る。しかし、伊東は、生産年齢人口が劇的に減っていく日本経済に直面するアベノミクスが、「民間投資の増加によって成長を促進させる」という「第三の矢」を中心に据えていることに疑問符を呈している。彼はいう。「成長戦略は、シュンペーターのいうイノベーション、つまり新しい技術進歩が新しい商品を生みだし、新しい市場と新しい経営組織に支えられて生まれることを期待しているようにも思われる。だが、そうしたものづくりのための経済理論も、確かな手段も存在しない。『日本産業再興プラン』の内容が不明確なのは当然なのである。いつ実現できるかわからないプランが並んでいるだけで、時間軸なき政策、それゆえ第三の矢は、安倍政権存続中には、有効性を持たない音だけの鏑矢に終わる可能性が大きい。」
*伊東、前出、p67.
この伊東の見解と対立するのが吉川洋である。彼は、2013年1月に出版した『デフレーション“日本の慢性病”の全貌を解明する』(日本経済新聞社)のなかで、人口減少が成長戦略の根本的な制約要因とはならないと述べている。日本企業は、これまでのコスト・品質の競争力向上を目指す「プロセスイノベーション」から「プロダクトイノベーション」に目標を変えなければならない。「プロセスイノベーション」への傾注こそが、賃金所得を引き下げ、先進主要国のなかで日本だけが長期のデフレに陥った原因である、と指摘している。ただ、この背景には、円高、そして5億人規模の新規労働者の参入、その低賃金によって支えられた「世界の工場」が隣国に出現するとい歴史的事件があったことも考慮すべきであろう。
The Economist誌の今年10月4日号は、「The third great waves]と題した特集を組み、世界が第3次の革命の時代に入ったとしてその将来とインパクトについて論じている。新製品が次々と登場し、産業、人間の社会生活、そして世界経済の在り方を一変させる「デジタル革命」である。この革命は、computing power(計算能力)、connectivity(結合性)、data ubiquity(情報の遍在)の三つの力を飛躍的に向上させることによって既に革命的な変化を生起させつつあるが、この変化が今後加速化していくものと予測されている。例えば、現在の通信、知識、エンターテイメントの分野が様変わりしタダ同然となり、いつでも誰でも使用されるようになり、また現在の雇用の約50%は消滅し、新しく生まれる雇用に取って代わられると予想されている。
*デジタル革命が雇用に及ぼす破壊的な影響について、オックスフォード大学のC.B.Frey教授らが行った700種の職業についての分析結果がある。The Economist誌は、コンピューターが労働に取って代わり現在アメリカにある職業の47%が、今後10年から20年以内に自動化され消失する見通しである、と指摘している。
ロボット、スマート・マシーン、自動運転自動車が日常生活のなかに浸透し、これまでの生活を一変させる。詳細は、別の機会に譲ることにして、ここで強調したいのは、世界、そして日本が大変革の時代にはいったという事実である。そして、アベノミクスによる日本再生の構想、そしてそこでのキーワードの一つである「イノベーション」と密接に関連している長期的課題であることを強調したい。人口減少、高齢化社会の到来によって、日本経済は成熟、衰退期に入った。アベノミクスの成長戦略は成功するはずがない、といった「過去の(defunct)経済理論や仮説」に振り回されて日本の将来を見誤ってはならない。
実際に、1990年代まで世界のエレクトロニクス産業をリードし、又輸出の牽引役として日本経済で大きな役割を果たしてきた日本のエレクトロニクス産業の凋落振りには、眼を見張るものがある。そして、その最大の原因が、このデジタル革命への出遅れであったことは周知の事実になりつつある。「第三の波」は、遠い将来の話ではない。いまや現実なのである。