2018年02月18日

市町村の「分離・分割」について考える~地方創生を形あるものにするために~(試論)                (株)ふるさと回帰総合政策研究所代表・日本シンクタンクアカデミー理事 玉田樹

目次

1.A町の知人からのメール
2.平成の大合併
1)市町村合併はなぜ行われたか
2)市町村合併の姿
3.広島県廿日市市と合併した宮島町の場合
1)宮島町の試み
2)宮島町の合併
4.和歌山県古座川町・合併をしなかった町の場合
1)合併を拒否した古座川町
2)独立を貫いた古座川町の活気
5.国は市町村の「分離・分割」の検討の開始を
1)事例にもとづく市町村合併の一次的な評価
①“地域の活力”が減衰したのではないか
②“財政健全化”しなくても市町村は維持できる
2)まず、市町村合併の検証を
①“活力”の評価
②“住民と行政の距離”の評価
3)市町村の一体感のための“適性規模”の模索
4)国は「分離・分割」の検討開始を
①「共助」「自助」が成り立つ「分離・分割」
②財政的基盤成立の条件の検討
5)“小さな市町村”の目線から行政制度を再検討
6.青森市の分割について
1)青森市のコンパクト・シティの頓挫
2)青森市の概容
3)コンパクト・シティよりも市町村の分割
4)青森市の分割
7.A町の分離・独立
1)このままではA町は消滅する
2)A町はY市から「分離・独立」する
3)「分離・独立」体制の設計
8.市町村「分離・分割」は地方創生の起爆剤
1)地方創生の起爆剤としての市町村「分離・分割」
2)地方交付税“財源復元機能”改革が財政基盤をつくる
3)地方創生の成功=「分離・分割」×「財源復元機能」
9.個性的な市町村の確立を
1)地方の崩壊の構図
2)志ある個性の再構築


1.A町の知人からのメール
 最近、X県Y市A町に本拠をおく「NPO法人」を引き継いで理事長に就任した知人から次のようなメールをもらった。
 「このNPO法人は、Y市との広域合併時(平成17年)に、A町独自の活動グループとして立ち上がりました。立上げ時、国の支援事業の認可を得ようとしましたが、市の推薦がえられず断念した経緯があります。A町民は“合併の弊害”との思いが強く、この11年間紆余曲折ありました。このNPO法人は、最後のA町長が理事長に就任して立ち上がりましたが、当時のY市長は、A町出身でありながら印鑑を押してくれれば立ち上がりの補助金が国からもらえたのですが、革新系のせいか私たちとは合わない方で捺印してくれませんでした。そんなことがあり、自分たちのことは自分たちでやっていこうと強い意気込みで頑張ってきました。今ではX県を代表するNPO法人になりました。」
 以下は、この知人の言葉に刺激され、かねてより思うところがあった市町村の「分離・分割」について、A町を例に試論として提示するものである。


2.平成の大合併

1)市町村合併はなぜ行われたか
 試論を展開するにあたって、まず、2000年代前半に行われた大規模な市町村合併「平成の大合併」について、簡単にみておきたい。
 この平成の大合併は、基礎自治体である市町村の財政基盤を確立することを主目的に行われた。
バブル後遺症から脱皮するために1990年代後半からさまざまな手立てが行われてきたが、なかでも2000年代初頭、国と地方の財政システムの「三位一体」改革が行われた。これは2001年に成立した小泉内閣が「地方に出来る事は地方に、民間に出来る事は民間に」という聖域なき構造改革の一環として行われたものである。“税財源の地方への委譲”と引き換えに“国庫補助金の削減”、“地方交付税の削減”が実施された。とくに地方交付税は、2001年から3年間にわたって合計3.4兆円、17%も削減された。地方財政白書によれば市町村合併が進む前の2003年時点で、“町村”では一般財源に占める地方交付税の割合は平均して55%に達しており、その割合が70%を超える町村も多くあったため、これが削減されることで存亡の危機に立たされた。
また、2000年より始まった介護保険は市町村の特別会計として運用を開始したが、町村部では高齢化率が高いこともあって、介護保険会計が赤字になる自治体が続出した。
 こうしたことから、市町村の財政的基盤をしっかりしたものにするため、2005年前後をピークに大々的な合併が行われた。地方交付税の削減というムチによって市町村の首長をして“役場職員の給料が払えない”と言わしめ、一方で、70%が交付税で戻ってくるという破格の条件をもつ合併特例債発行許可というアメを用意したため、雪崩をうって市町村合併が行われた。

2)市町村合併の姿
 この結果、1999年には3,232あった市町村は、2014年には1,718となり、1,500余の市町村が合併で消滅した。
 町や村は6割以上がなくなった。合併によって、町村の人口1,422万人、全国人口の12%相当が都市に吸収され、周縁部に位置付けられてしまった。また、都市部では合併によって11万㎢、国土の30%近くに及ぶ地域を追加的に抱えることになり、市町村経営の地域範囲が2倍に膨らんだ。
 A町は、この平成の大合併によって、Y市に吸収された。
 この結果、市町村の財政力指数は格段によくなったと言われている。また、合併による人口への効果についても多くの研究がなされている。
 しかし、合併はプラスの効用だけをもたらしたのではなさそうだ。人口減少が止まらない市町村では、市町村の中心部の活力維持で手一杯になり、広大な面積となった周縁部地域の面倒をみることが難しくなって、結果として周縁部の“人の活力を殺ぐ”ことが起ってしまっている可能性が否定できないのではないかと考えられる。
 以下、合併した市町村と、合併しなかった市町村の例を具体的にみておこう。


3.広島県廿日市市と合併した宮島町の場合

1)宮島町の試み
 まず、合併した市町村である宮島町の状況についてみる。
世界遺産の厳島神社で知られる広島県(旧)宮島町は、島全体が国立公園特別地域に指定されているため、かねてより住宅の新設が出来ないところであった。昔から“宮千軒”といわれ、住宅が1000軒しかないため、世帯当たりの人口が5人もあったときは5,000人の人口を擁していたが、世帯人口の減少とともに人口の絶対数が減少していった。
 1980年代の半ばに人口が3,000人を割りそうになったとき、島には大いなる危機感が芽生えた。
 一般的に商店を構えるとき、商圏人口が最低限3,000人は必要だと言われている。人口が3,000人いなければ八百屋も魚屋も成り立たない。コンビニはこの原理を活用して新規開店する戦略をとっている。
 人口が3,000人を割れば、日常生活のための商店が閉店する、店屋がなくなれば生活が不便になるので島民は対岸本土の大野町や廿日市市に引っ越してしまう、という悪循環にはまる恐れが宮島町にはあった。
 だから、1980年代に人口が3,000人を割りそうになった宮島町は、競艇場の収入を原資として町を盛り返す総合計画を立案し、あらゆる手立てを講じた。 その一環として、島の裏側、杉の浦地区に特別地域に指定されてない場所を発見し、そこに数十軒の住宅開発をして3,000人の人口確保を急いだのである。

2)宮島町の合併
 しかし、1990年代に入り、宮島町の人口は3,000人を割り、90年代の後半に“市町村合併”の話が町を覆い、「合併に賛成か反対か」で町長選が激烈になって人口は歯止めが効かなくなったように減少していく。
 90年2,780人、95年2,510人、00年2,200人、05年1,940人。
 宮島町は2005年に廿日市市と合併した。
 その後、10年1,760人、15年1,670人と加速度がついたように宮島町の人口の減少は進んでいる。
 1960年代の宮島町の管弦祭それは立派で華やかなものであったし、1980年代には町に活気があり役場の職員たちは町を盛り返す意気に燃えていた。2000年代初頭、人口は減ったようだが、合併前でまだ町には活気が残っていた。
しかし、今般、10年ぶりに訪れてみると、島の裏通りにあたる生活道路には店屋がなくなり、旧役場庁舎は暗く島民と役場職員が議論をしている風景は遠い昔の夢の跡のようであった。観光物産館が並ぶ表通りだけが底の浅いにぎわいを呈していた。
おそらく、このままでは宮島は定住人口がいなくなり、通いの店員だけの町となるであろう。住宅は1,000軒あるのだから、地方創生の時代、ここに移住者が1軒2人住めば人口2,000人の町に維持できるのだが、果たして廿日市市ではこれができるのだろうか。だから、宮島町は分離・独立してもう一度頑張ったらどうかと思うのである。


4.和歌山県古座川町・合併をしなかった町の場合

1)合併を拒否した古座川町
一方、合併をしなかった古座川町の状況についてみてみよう。
古座川町は、和歌山県の最南端、串本町に隣接する小さな山あいの町である。町には清流・古座川がゆったり流れ、ほとんどが山林である。「山林96% 残り4%で生活している。 コンビニ、駅、信号がない。だけど 鹿、猪、猿がいる」と自認する場所である。
だから、古座川町は経済的に豊かなところではない。しかし生活するのに月5万円もあれば暮らせるところだという。赤ん坊を連れてIターンで古座川町に移住した人は「財布に5,000円を入れておいたが、いつまでたってもなくならない。そもそも使う場所がない」と嬉しく嘆いているところなのである。
この古座川町は、平成17年の大合併時に古座川町、古座町、串本町3町の合併の道を選択しなかった。当時のことを町民は次のように話す。
「もとより豊かなところではないので、昔は、町長が先頭に立って町有林を増やしたりして町を活性化する努力が行われてきたところだ。その町長は、体を張って、古座・串本との市町村合併に反対した。合併の狙いは明らかに合併交付金であったが、これに反対し、古座川の当時の町長は、山の資産を守ろうとした。これは素晴らしいことだったと思う。」

2)独立を貫いた古座川町の活気
 古座川町の人口は、1990年4,584人、95年3,884人、2000年3,726人、そして合併話があった2005年3,426人、10年3,103人、15年2,826人と減少が続いている。
 産業と言ってもろくなものがないのである。古座川町で一番の雇用先は、特養老人ホームと介護老人保健施設で200名ほどの就労がある。2番目はリネン工場で50名、3番目が畜産の10数名。
しかし、何度か訪れてみると、何がしかの活気が感じられ、妙に落ち着くところである。昔、司馬遼太郎が「街道をゆく」を書くために古座川を取材して、ここの多くの人たちが明治期にオーストラリアに潜水夫として出稼ぎにでたことを知り、これを題材にして「木曜島の夜会」を書いたのもここである。
古座川町では、合併をしなかった直後の2005年に古座川町産業振興委員会を立上げ、「過疎高齢化の中で産業振興していったとしても、いずれは後継者不足になる。それなら産業振興と合わせ後継者育成も含めた定住施策も進めないと先細りになる」との認識のもと、“産業振興策”と“定住施策”を同時並行で進めている。
2015年に“『厄介者』から『地域資源』へ”を合言葉にジビエ処理施設を完成させ、これを産業のひとつの核として、大都市レストランへの供給、ジビエ体験・狩猟ツァー、ジビエバーガーやハムなどの加工品開発、ペットフード産業との連携、皮や骨を使ったデザイン産業の集積など、花びらのように関連産業の集積と育成が進んでいる。そして、来年度から始まる国の「ジビエ・モデル地区」の拠点施設に指定される予定になっている。
移住・定住にも力が入っている。かねてより、「熱意だけで来るな、住む田舎と遊びに来る田舎は違う」「ワンテンポ置いて定住を考える時間を持つ」「自然を相手に『ひとり遊び』ができない人、地域に溶け込み地域のためになるという意識がない人、車がない人は田舎に住まないこと」「最後は自助努力、住みたいのはあなた」など8カ条をしつこいほど説明している町で、2004年にすでに21名の移住者を数え、現在では和歌山県の施設「ふるさと定住センター」の協力を得て各種研修体制を整え、現在では起業をめざす若者を中心に移住者100名を超えるまでになっている。
こうした古座川町の活気は、ひとえに自主独立、合併しなかったために自らがやりたいことを思う存分やれているからだとみる。そして、“どういうわけか「住民意識が高い」”と隣町の人に言わせる町だからか。
いずれにしても、自らの志を自ら実現する手立てをもつために、市町村は合併で大きくなり過ぎないことが肝要のようである。


5.国は市町村の「分離・分割」の検討の開始を

1)事例にもとづく市町村合併の一次的な評価

①“地域の活力”が減衰したのではないか
 今般の地方創生では、合併ででかくなった市町村ほど元気がなく、合併を食い止めた中小の市町村ほど元気に満ちた活動を行っているといわれている。合併した宮島町、合併しなかった古座川町の例では明らかに合併しなかったことのほうが正解として示されている。
 だから、総務省やいくつかの省庁の何人かが認めているように「市町村合併は失敗であった」という意見が出始めるのもやんぬるかなである。
 だから、“財政の健全化”という錦の御旗のもとに合併することで、これと刺し違える形で“地域の活力”が減衰してしまった、ということが起っているのではないかと推察される。

②“財政健全化”しなくても市町村は維持できる
 合併は、これまで市町村経営の“財政的基盤の健全性”の原理にもとづいて行われてきた。しかし、この原理が貫徹されて市町村合併が行われたのかといえば、決してそうではなさそうなのだ。
 これまで取り上げてきた宮島町、古座川町、そして後に述べるA町の3町の合併前の2003年当時の人口一人当たりの一般財源をみると、宮島町39万円、古座川町65万円、A町57万円であった。
 宮島町の場合は、自由に使える財源である一般財源に占める地方税の割合は40%近くに上り、地方交付税にあまり依拠していなかったにもかかわらず、“合併”を選択してしまった。これは同町にそもそも競艇による収入があったため、地方交付税が少なかったようで、しかしこの競艇収入が10年前と比べ6割に激減したために、合併を選択したのだと推察される。検証が必要だが、本来、地方交付税は市町村の行政需要に要する経費の足らざるところを補うものなので、宮島町の場合も古座川町やA町と同程度の地方交付税の交付があってもおかしくなかったが、どういうわけか宮島町ではこれが機能しなかったために、合併の道を選ばざるをえなかったのではないか。
 これに対し、古座川町とA町では、人口一人当たりの一般財源額がともに60万円前後、一般財源に占める地方交付税の割合がともに85%で、財政的にはほぼ同じ状況であったにもかかわらず、一方は“合併を選択せず”一方は“合併を選択した”のである。
 単純化して言えば、財政力が弱いところでも、合併の道を選択せず、生き残りをかけることができるのである。
 このように、市町村合併は“財政の健全化”の意図に対して、総体としてはそれが達成されたように見えるが、個別には必ずしも意図が貫徹したわけではなく、一方で合併によって“地域の活力”に毀損が生じた可能性があるので、この確認をする必要があると考える。

2)まず、市町村合併の検証を
このように、市町村合併の意義を“財政の健全化”の原理だけに求めるのはいささか無理があるようである。財政的基盤が健全であろうが、合併され周縁になってしまった市町村が“死に体”になってしまえば元も子もなくなる。今般の市町村合併がそうした結果を生んでいる可能性は否定できないのである。
合併の成否を検討するために、合併した市町村の“活力の維持”を評価することもひとつの視点として必要に思える。“活力の維持”の評価を具体化することはなかなか困難なことであるが、次の2つの検討を行うことを提案する。

①“活力”の評価
ひとつは、“活力”そのものの評価である。地方創生が始まって3年が経過するが、その間、頑張ろうとしてユニークなアイデアを出した市町村の分析を行う。ここで仮説しているのは、こうした自治体は合併しなかった市町村に多いのではないか、ということである。つまり、この地方創生という機会を捉え、死に物狂いで活路を求める姿は、合併しなかった中小市町村に多くみられるのではないかと考えられるからである。地方創生本部がこれまで“推奨”した事業がどのような市町村から提案されたのかを分析する。

②“住民と行政の距離”の評価
いまひとつは、“住民と行政の距離”の評価を行う。その代理指標として「地域おこし協力隊」のこれまでの分析を行う。ここでの仮説は、任期途中でのリタイア率が合併市町村で多いのではないか、ということである。総務省がこの事業で6割が定住していると発表しているように、すぐれものの事業であることは確かだが、任期3年を待たずにリタイアしていく人も多い。相性の問題があると思うが、合併した市町村では周縁に派遣された隊員が、行政とのコミュニケーションがうまくとれず、継続を断念するケースが多いと見受けられことから、リタイア率を捉えることによって“住民と行政の距離”が測定できる。“活力の維持”のために、人材が活かせているかを捉えるのである。余計なことだが、この地域おこし協力隊は立派な事業であるので、事業でなく「ふるさと協力支援隊法(仮称)」にまで格上げするためにも 、こうしたリタイア者の検証作業は必要である。

このような分析を行い、市町村合併の効果の検証を行いたい。
ここで結論を急ぐことは到底できないが、もし仮に“活力の維持”の検証が仮設どおりであったら、そうであったとしたら、過則勿憚改、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ、だ。

3)市町村の一体感のための“適性規模”の模索
 その第一歩として、市町村の一体感保持のための“適性規模”の研究を開始したらどうか。
わが国は、これまで随分と市町村合併が行われてきた。合併前の小さな市町村の時代は住民と役所は近しい関係にあった。これが大きな市町村になるにしたがって、「住民は主役」と念仏を唱えてみても、古臭い行政主導の“お上”意識が頭をもたげる光景は全国各地でみてきた。
 住民の“発意”や“やる気”は役所に届いているのだろうか。集落が共同で経営していた蕎麦屋がうまくいかなくなった時、役所は一緒になって知恵を絞り立て直す支援が十分にできているだろうか。
 いまや、右や左も関係なく住民が力を発揮しなければ、地方創生は成り立たない。役所はそれを一体となって支援する。これは市町村と国の間でも同じことだ。市町村が力を発揮しなければ、地方創生は成り立たない。国はそれを資金的に支援したり、市町村が力を発揮できるようにするために制度そのものの改変を行う。これが「公助」である。
住民と役所の一体感。これは大きな市であれば難しいことも、小さな市町村であれば可能になるのではないか。祭りも維持できる。地域住民の力を引き出し、役所と住民が一体となって活性化に取り組む観点からの市町村の“適正規模”を模索すべきときを迎えている。

4)国は「分離・分割」の検討開始を
 そして国は、市町村の「分離・分割」についての制度設計の検討を開始すべきと考える。
①「共助」「自助」が成り立つ「分離・分割」
人口オーナス期に突入して20年が経過する現在、それにみあった市町村制度を考え直すことを研究してみる必要がある。(注;人口オーナス期とは、労働力人口が増え続ける人口ボーナス期に対し、その逆で人口の負荷が重荷になる時期のこと)
そのひとつとして、市町村の分離・分割がある。国はこれまで、市町村の合併ばかりを行ってきた。自治体経営が成り立つための規模拡大である。これを逆転させ、市町村の分割を行い、住民と役所が一体となって「共助」「自助」が発揮できる体制への検討を開始すべきことを提案する。
かつて横浜市は、住民参加が華やかしころ市内の区ごとに自主組織を育成しそこに一定の予算をつけることを行った。また、最近では「地域運営組織」というものが全国で立ち上がっている。三重県名張市をはじめ全国494市町村に1680団体がある。これは地域の生活や暮らしを守るために地域住民が中心となって運営するもので、市町村からの交付金を得て市町村行政機能の一部肩代わりをしている。こうした小学校区単位相当で形成される「地域運営組織」は、社会保障の谷間からこぼれ落ちる人々に対し、集落やコミュニティが役割を果たして「つながりの場」を提供していくことが期待されている。(注 )
「地域運営組織」の盛り上がりを背景として、行政機能の代行にとどまらず、産業育成はじめ多くのことを自ら発案・実施する権限をもつ“組織”が必要と考える。それが“小さな市町村”になるのではないか。
 
②財政的基盤成立の条件の検討
もとより、市町村の“適正規模”に応じて小さくなった場合、市町村財政が成り立たなくなったり、議会が成立できなくなる事態は容易に想像される。
拙著「地方創生 逆転の一打」で、次のように書いた。
「もし、地方創生競争に負けて自治体経営が成り立たなくなった場合どうするか。財政再建団体にするのか。出生数向上や逸失した子ども数を奪還することに負けるのだから再建団体にしても始まらない、まさに消滅都市になる可能性がある。
この事態に対して、考えられる手段は3つ思い浮かぶ。ひとつは、市町村合併。しかし、受取る自治体が周辺に存在するかが問題になる。では、飛び地の合併でもやりますか。東京都東北地方○○村。これを延長して、いまひとつは、国の直轄地にする。地方の自治体では手に負えないなら、国が経営してみる。国ならやってくれるハズ、どうですか。これは悪い冗談ではなく、そこまで視野に入れて、地方の創生を考える。」(注 )
 この記述での3番目の選択肢は、国の直轄地としての市町村にするケースと、市町村の一部機能を国の運営にするケースという2つのケースが想定される。ここで述べている「市町村分離・分割」の場合、後者のケース“社会保障や一部公営事業を国営にする”という選択肢となり、それがどこまで可能か、さらに、そうなったとき“小さな市町村”経営が可能になるのか、という問題設定になる。
「経済財政運営と改革の基本方針2017」でも示されているように、行財政能力が限られている市町村については、その公共サービスを中心市や県との広域連携・共同化を進めるとしている。このようにして、これから“分離・分割”する市町村は、徹底的にスリムな経営体にして、成り立つのかという研究をはじめてほしいと考える。

5)“小さな市町村”の目線から行政制度を再検討
 加えて、市町村の分離・分割によって生まれる“小さな市町村”がうまく機能するよう、行政制度全体の再検討を行ったらどうか。この問題は、すでに存在する古座川町のような小さな市町村経営を維持発展させるためにも重要である。
 これまでに存在し、また新しく生まれる“小さな市町村”がうまく経営が成り立つために、既存の制度を取っ払って、どのような制度仕組みがあれば成り立つのか、市町村制度そのものを原点に返って検証してみる機会がここにある。地方交付税制度はこのままでよいのか、社会保障の市町村会計は妥当なのか、職員定数に関する決まりはこのままでよいのか、地方公務員法38条の運用はどうあるべきか、地方議員の兼業は可能か、などさまざまな制度をあらゆる観点で検証してみることが、結局、地方創生を生き生きとしたものにしてくれるに違いない。


6.青森市の分割について

1)青森市のコンパクト・シティの頓挫
さて、以上のことを踏まえ、まず市町村の「分割」について考えてみる。
フライングを承知で、ケーススタディとして青森市を取り上げる。青森市は“合併”を積極的に行ってはいないが、すでに広大な面積をもつため、その「分割」について考えてみたい。
拙著「地方創生 逆転の一打」で、コンパクト・シティについて、次のように書いた。
「最近、コンパクト・シティの先駆的取組みをしていた青森市の商業センター施設が経営難に陥ったというニュースを耳にした。青森市では、郊外部での住宅開発が盛んに行われたため膨大な公共投資を余儀なくされ雪国のため維持管理が難しいことから、2000年頃より中心部に人を集めるコンパクト・シティを目指してきた。歩いて暮らせるまちづくりとして、中心市街地の活性化、まちなか居住推進のための郊外部からの住み替えシステムの構築、郊外の保全などに取り組んできた。しかし、中心部の目玉であった商業センター施設の経営がどうもうまくいかなくなったようだ。中心市街地ににぎわいが戻り始めたといわれていただけに、コンパクト・シティの難しさを感じざるをえない。」(注 )
最近、青森市を縦断する機会を得た。太宰治の「津軽」をなぞる旅にでて、弘前市→青森市→(津軽半島)蓬田村を車で通過しながら、思うところがあったので、書き留めておく。

2)青森市の概容
青森市はともかくでかい市なのだ。人口は28万人だが面積は825㎢もあって、東京の山手線内側の10倍以上、全国県庁所在地のなかで9番目に大きい面積を有する。
朝、車で弘前市を出発し、平成17年に青森市に合併した浪岡町を過ぎ、青森市の中心部に近い山内丸山遺跡に寄って、津軽半島の東海岸いわゆる外ヶ浜海岸を延々と北上し、隣町の蓬田村に着くのに結構な時間を要した。青森市を南から北へ縦断したことになる。寒村といわれた外ヶ浜海岸沿いには延々と家屋が並んでいた。
その感覚からいえば、青森市はともかくでかい。これをコンパクト・シティに持って行くのは至難の業と思えてしまった。
 青森市は、最近合併した人口2万人の浪岡町を別にすれば、東部に位置するいくつかの小さな村を合併した歴史をもつのみで、決して合併によって大きくなったわけではない。そもそも、中心部を除いた周縁の広大な土地に昔から人々は住んでいたのである。
合併した浪岡町を除き、青森市には中心部を除く周縁には62の集落があり、ここに6万5千人が住んでいる。ひとつの集落当り人口は1,000人である。

3)コンパクト・シティよりも市町村の分割
こうした歴史的な状況からすれば、「郊外部での住宅開発が盛んに行われたため膨大な公共投資を余儀なくされ」たので、コンパクト・シティを目指すのは何か問題設定を間違えているようで何かおかしい。
むしろ、青森市を分割して、独立した市町村をつくり、それぞれが自立できるようにする方が合理的と考える。
拙著では「コンパクト・シティという間違った問題設定をするのでなく、むしろ、地方でも都会でも過疎地や限界団地に人が多く住む環境を整える政策が必要だと思う」と書いた。
 その答えのひとつが、“市町村分割”をして周縁部を分離・独立させるのである。
 ここらあたりで、一度、“市町村分割”について、検討を開始してもいいように思う。国民健康保険が2018年度から県の管理になるのと同じように(難航しているようだが)、介護保険も県管理とし、社会保障はいずれ国管理にするということを前提として、小さな町村が多数生まれることがわが国の将来にどのような効用をもつのか検討するべきときを迎えている。
 そのことが、コンパクト・シティなど無駄な議論から地域を開放し、ローカルな地域に人が戻ってくる基礎をつくるになるに違いない。

4)青森市の分割
 青森市は、人口28万人の市域全体でコンパクト・シティを作ろうとしている。青森駅を中心とした地域と合併した浪岡の2か所に中心市街地をつくり、周縁地域ではそれぞれ日常生活拠点をつくる構想である。青森駅周辺の中心市街地では、先に述べたように商業センターが頓挫し経営が破たんした。一方、周縁地域の日常生活拠点づくりがどこまで進んでいるか定かでない。
スウェーデンは、950万人の人口に290の基礎自治体であるコミューンが存在する。ひとつのコミューンは一般的に人口1万5千人~2万人である。スウェーデンのコミューンは財政的基盤が成り立ち、地域の人々の「分かち合い」の文化が継続されているので、基礎自治体のあり方のひとつのモデルとして取り上げられることが多い。
 これにならえば、青森市ではまず合併した人口2万人の浪岡町を分離し、そして残る青森市は中心部を除いた6つの行政区をそれぞれ分離し人口7千人~1万5千人の独立した町村にする。結果、残った青森市は人口20万人のコンパクト・シティとなる。
 分割された町村は、きっと眼の色を変えて、日常生活拠点づくりに励み、地域の活性化に挑むことになるだろう。


7.A町の分離・独立

1)このままではA町は消滅する
さて、本題であるA町の「分離・独立」のケースに移ろう。A町は2006年に8市町村の合併によってY市に併合された。現在、Y市は市内の行政区として、いくつかの地区を区分している。
 その地区のひとつA町の人口は合併時に4,000人近くあったものが、毎年100人程度の減少を続け、現在では2,900人になってしまった。このままいけば、10年後に1,900人、20年後に900人、30年後には誰もいなくなる。

2)A町はY市から「分離・独立」する
 Y市も中山間地地域振興課を設けており、周縁地域の経営に努力はしているようだが、合併後10年のこれまでの経過をみると、A町がこのままY市の傘下にいることは、A町の消滅を是認していることと同じことになる。
 地域を活力あるものにするには、市役所がやるのではなく、地域住民の力を引き出すことがなによりも必要である。知人のメールによれば、Y市はこのことに気がついていない節がある。このままY市にまかせておけば、A町が地域として成り立たなくなる。
 だから、ここは一発、A町はY市から分離・独立し、住民自らがA町を盛り立てる算段が可能な環境を用意したらどうかと思うのである。
 A町だけでは人口3,000人弱だから財政的基盤が脆弱になる可能性があるので、文化的なつながりがあれば他の地区を含め、人口5,000~9,000人の町として新しい市町村をつくるのである。
 総務省ではこれまで市町村の合併ばかりを行ってきたが、「失敗であった」という反省機運もあるので、A町が全国に先駆け、市町村“分離・独立”の狼煙をあげたら、世の中きっと変わるだろう。

3)「分離・独立」体制の設計
 とはいえ、事を運ぶには慎重でありたい。分離・独立したらかえって町のサービスが低下し、不便なために人々が去っていくことだけは避けたい。
 また、独立するからにはその体制の設計を先行し、ある程度の見通しがたったら、住民との協議、周辺町村や市・県・国との調整など独立運動を開始する。
 まずは、住民税や固定資産税などの税収はどれほどになるか、加えて地方交付税はどの程度期待できるかなど、見通しを含め収入の概算をする。
 一方、行政支出や行政職員の見積りである。この場合、一般的な町村の例を参考にすることがベースにあってもかまわないが、新しい町行政を行うために、とくに国保会計、介護保険会計、水道事業会計など公営事業の扱いをどう考えるかが肝となるので、大胆な試みを行うことが期待される。
 まず、国民健康保険は、来年度から県の管理に移管されるために、負担はなくなるが、住民の保険料負担がどのくらいになるかを見通しておく必要がある。
 問題は介護保険である。介護保険は10年前の市町村合併の引き金になっただけに、新しいA町の財政の足を引っ張る可能性が高い。本来なら、この介護保険も県管理か国管理にすべきであるが、その見通しが得られない現在、介護保険会計が赤字にならない工夫をして新しいA町を出発させる。その要諦は、徹底して“介護予防”と“リハビリ”を行う体制を用意することだ。
 さらに、最近、簡易水道への補助の打ち切り、上水道への切り替えが進んでいるため、これをどうするかも検討する必要がある。A町の美味しい水を維持するために簡易水道にこだわりその維持管理を町民負担とするのか、また上水道に依存するなら広域行政での対処を図る。
その他、これまでの公営事業のあり方にメスを入れ、いらない施設は撤廃するなど徹底的にスリムな町にする。その方針を決める必要がある。
また、一般行政経費に該当する子ども教育について、子育てがしやすい行政サービスは何かを具体化し、さらに義務教育での教育のありかたをこれまでの豊かさ価値観にもとづいた“進学教育”から、よりよく生きる価値観にもとづいた“将来、よりよく生きられるための教育”へと設計変更する。(注 )
 一般行政経費を少なくすることも重要である。新しいA町の職員をできるだけ少なくして行政がまわる工夫をしておきたい。2つある。ひとつは定型的な行政事務は可能な限り“外部委託”する体制をあらかじめビルトインしておく。いまひとつは、地方公務員法38条を活用して職員の“兼業”を積極的に認め、職員がアウトリーチ・地域に出ることによって地域住民と一体となって地域が活性化するようにするとともに職員給与を縮小する仕組みをビルトインすることだ。
 そのようにして、あらかじめ新しいA町行政の体制を設計し、その上で各方面との交渉を開始する。マスコミなども活用して「分離・独立」運動を展開するのである。
 A町は全国に先駆けて市町村「分離・独立」に立ちあがることを期待する。


8.市町村「分離・分割」は地方創生の起爆剤
 
1)地方創生の起爆剤としての市町村「分離・分割」
地方創生が遅々としている。今般、本稿を考えながら思うことは、地方創生を進める究極の起爆剤はこの市町村の「分離・分割」にあるのではないか、ということである。
 筆者はこれまで地方衰退の原因は、そもそも20%の若者が東京に出たきり戻らないことであり、21世紀に入ってこれが加速したのは次の3つのことが加わったためだとみていた。「人口オーナス期に突入したこと」、「産業構造が変化しグローバル化したこと」、「女性の4年制大学進学率が急伸したこと」の3つである。
 しかし、地方のさらなる加速度的衰退のもう一つの重大な原因は、これらに加えて21世紀初頭に行われた「市町村合併」にあるのではないか、との考えにおよぶ。合併によって周縁部になってしまった旧町村の人口1,400万人におよぶパワーが減殺されたのなら、もしそうなら、今般の市町村の急激な衰退は“人為的、政策的”な原因ということになる。
 一億総活躍社会、これが地方創生とリンクした時、住民の“思い”や“発意”をどれだけ社会に発現できるかが勝負になる。
 だから、地方創生を形あるものにするためにも、市町村の「分離・分割」についての検討を急ぐべきである。
 
2)地方交付税“財源復元機能”改革が財政基盤をつくる
 もとより、市町村の「分離・分割」によって、その財政的基盤の安定性が不安視される。地方税収もままならず、一定の不可欠な行政サービスができなくなる恐れがある。
 しかし、地方交付税とは地方のこうした事態に対し「財源を保障」するものである。先にみた宮島町のように、その地方交付税が不十分な場合は合併を余儀なくされるが、しかし考えてみれば、もし宮島町に古座川町と同じような地方交付税が配分されていれば、“合併せず”の道を選択できた可能性があるのではないか。つまり、地方交付税の本来の主旨が生かせれば、地方の財政的基盤はある程度確保されることになる。
 これに加えて、“頑張る”市町村に地方交付税を手厚く配分することが必要だ。拙著「地方創生 逆転の一打」では次のように書いた。
「これまでの地方交付税は、人口が減り低下した活力の状態そのままの“現在を評価”して財源が配分されている。しかしこれは、地方の縮小均衡を是認している。むしろ、これまでの方式を変えて“回復力、復元力のバネ”、すなわち地方が縮小した現在を元に戻そうとすることにチャレンジしようとすることを評価した“財源復元機能”として地方交付税配分のあり方を位置付け直してみたい。」
 “財源復元機能”とは、“人口の回復力、復元力のバネ”として出生率の高さ、流出した人口をカバーする人口誘導の多さ、この2つを評価基準にして地方交付税を配分することである。総務省では「人口減少等特別対策事業費」として、これに近い試みが開始されているが、地方交付税の“一定割合”を対象にこれを本格的に稼働させるのである。
 こうした地方交付税の改革によって、小さな市町村であっても出生率の高さや移住者の多さなどで“財源復元力”があれば、より多くの地方交付税を手にいれることができ、より一層安定した財政的基盤を獲得できる。
 小さな市町村、分離・分割する市町村でも、これまでの「何をしなくても、もらえてあたりまえ」の地方交付税によって財政的基盤は“保障”され、加えて小さい市町村だからこそやりやすい“財源復元力”にチャレンジすれば、地方交付税は加算され財政基盤はより安定すると考えられる。


3)地方創生の成功=「分離・分割」×「財源復元機能」
 本稿で述べた市町村の「分離・分割」は、すべての市町村でやることは全く想定していない。志あるところが対象になる。
 国による「分離・分割」の制度設計にみあう市町村であり、なおかつ、合併された市町村やかねてから周縁部であり続けた地域で住民の気持ちが“残り火”のように残っているかが問われることになる。
 自らやりたいことを実現する意思、財政を安定させるために“財源復元力”にチャレンジする気構え、などである。こうした自治体を増やしたい。
 地方創生の最大の眼目は、出生率を上げることにある。こうした期待に応える市町村を増やすためにも、子育て環境を立派にする志ある小さな市町村を育てたい。
地方創生の地方にとっての最大の眼目は、人を多く誘致することである。都会の人々の移住や二地域居住に血眼になる小さな市町村を多数産みたい。
 結局、地方創生を成功に導くためには、「意思の発現」と「財政の安定」をめぐって、
  「市町村の“分離・分割” × 地方交付税の“財源復元機能”改革」
を行うことが近道かもしれない。


9.個性的な市町村の確立を

1)地方の崩壊の構図
 1990年代、わが国がバブル崩壊であえいでいるとき、それまで行われていた地方政策はすべて取りやめになって、東京をどう維持していくかに世の関心が集まった。それまで地方中枢都市の育成などを通じて、企業の“支社”が地方にずいぶん出来はじめていたが、それもご破算になって地方の支社は“支店”に格下げされ、人材は東京本社に集められたのである。ここから、今日の地方の疲弊は加速度がつきはじめた。
 これと同じ構図のことが、今、地方で起り始めている。そもそも大面積をもつ自治体や合併などによって大きくなった市は、市そのものの人口が減少し始めたため、関心は市の中心部をどうするかに大きく傾いている。周縁の地域どころではないのである。先にみた青森市もそうだし、合併で大きくなったY市もそうなのではないかとみる。

2)志ある個性の再構築
 なぜ、全国いたるところで周縁部を切り捨て中心部のみに政策を集中させようとする金太郎飴のようなことが起るのか。
 全国すべてが、均質化してしまったことに一因があるようである。明治という輝ける国家が成立したのは江戸時代の各藩の“多様さ”という遺産が花開いたためだという。地域ごとの人材の多様性である。
 本稿で述べたA町や古座川町には、話をしていても気合いの入った気持ちのいい人がたくさんいる。しかし、宮島町ではかつて町を盛り上げることに懸命だった人の姿はもうない。
 地方創生は「人材」である。生き生きと活動する人材がどれだけいるか、である。その人材を活かすのは行政組織である。もしそれができないのであれば、それは行政の罪になる。
 こうした観点からいえば、地方はいまいちど“多様さ”を取り戻すために、飴のように伸びて没個性となってしまった合併した町村を抱え続けるのでなく、いま一度、周縁部のアイデンティティを引き出し、個性溢れる人材の輩出と、個性溢れる新しい地域づくりにまい進するために、小さくても強固な市町村分離・独立を目指すべきである。
 A町は、それを率先垂範するべきポジションにいる。A町諸兄が地域をよくしたいという“強い志”は持続されなければならないし、将来に受け継がれる体制を用意することも責務である。
 これから50年、100年を要する事業のために、まずA町の分離・独立を開始されたい。

(脚注)
ーーーーーーーーーーーーーー
「地方創生 逆転の一打 ~『公助』の異次元改革のススメ」
(玉田樹 ぎょうせい 2017年2月)
「人口減少と社会保障」(山崎史郎 中公新書 2017年9月)
 1に同じ
 1に同じ
「『豊かさ』の終焉、『よりよく生きる』社会モデルへの挑戦 ~価値観変化と構造改革」
           (玉田樹 野村総合研究所 「知的資産創造」2003年6月号)
     http://www.furusatosouken.com/C1yoroyoku.pdf

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2016年07月09日

2016年7月 地方創生のための提言 人口移動の大逆流社会をつくる - (株)ふるさと総研 玉田 樹


地方創生のための提言
人口移動の大逆流社会をつくる
「兼業」による「二地域居住(兼居)」 の推進
~「同一労働同一賃金」の千歳一遇のチャンスを生かせ!~


目次
Ⅰ.本提言の意図
1.人口移動の大逆流の始まり
2.千歳一遇のチャンスをものにする
Ⅱ.大都市での働き方の変革をどう後押しするか
1.「同一労働同一賃金」に企業はどう向き合うのか
2.「同一労働同一賃金」は雇用制度の変革を引き起こす
3.雇用制度変革は「兼業」へと向かう
4.「兼業」社会をどう加速化させるか
5.「兼業都市」宣言の導入を図る
6.100万人単位の「二地域居住(兼居)」する兼業者の発生
Ⅲ.兼業者100万人単位の受け皿を地方でどう作るか
1.現役のノウハウを地方で活かすネットワークづくり
2.「ふるさと起業」の環境づくり
3.社内失業からの脱却のためのリトリートの場づくり
4.「兼業」と「雇用の調整の場」としての企業の農業参入の場づくり
5.「新型の企業(人)誘致」と「新しい企業(人)城下町」の形成へ
(「1市町村M企業」運動の展開)
Ⅳ.「兼業」を促進し「二地域居住」に向かわせるインセンティブ
1.「兼業」を生むインセンティブ
2.兼業者を地方に向かわせるインセンティブ
Ⅴ.“地方への新しいひとの流れをつくる” 再考

Ⅰ.本提言の意図
1.人口移動の大逆流の始まり
いま、大都市から地方への人口移動の大逆流が始まる千歳一遇のチャンスを迎えた。かつて地方から大都市への大量の人口流入があったが、それにも匹敵する大逆流が起ろうとしている。
思えば、わが国の一極集中といういびつな構造は、戦後に地方の農業生産性が飛躍的に高まったために農家の二男、三男坊が余剰になるという人口移動の“必要条件”が生まれ、一方、1951年の産業合理化法で特定産業の育成を開始し4大工業地帯の工業化の促進によってここに人口が集中するという“十分条件”が整うことによって成立した。
人口移動は、人口を送りだす側の“必要条件”と、それを受入れる側の“十分条件”が同時に成立することによって初めて起る。受入れる側の“十分条件”だけをいくら整えても人は移動しない。人が移動できるあるいは移動しなければならない環境としての“必要条件”があって初めて人の移動が起るものと考えられる。
この必要条件と十分条件があいまって、周知のように、1955年から毎年40万人、20年間で合計850万人が大都市に移動し、1975年に移動の終焉を迎えた。1955年当時の地方の人口は6千万人であったので、毎年0.7%、20年間で地方人口の14%が大都市に移動した。
しかし地方人口の大都市への流出は、1975年で完全に終焉したわけではない。残念ながらそれ以後今日に至るまで、滲み出すがごとく地方から大都市への人口の漏洩が続いている。現在でも年間に地方人口のおよそ0.2%~0.3%、数にして13~20万人に及ぶ人口が、大都市とりわけ東京圏に転出超過を続けているのである。加えて、地方の子どもたちは大学進学で20%は戻ってこない現実が続いている。
あれから40年。人口の移動について、地方が人を送りだす“必要条件”を持ち、大都市が人を引き付ける“十分条件”を持つという構造は一向に変化する兆しがみられなかった。
しかし、ここにきて人口の移動について、これまでとは逆に大都市が人を送りだす“必要条件”を持ち、一方、地方が人を引き付ける“十分条件”を持つ構造に逆転変化する可能性が芽生えてきた。
本提言は、これまでの地方⇒大都市という人口移動の構図から、大都市⇒地方という構図に逆転する可能性を検証し、それを具体化するための方策について提言するものである。

2.千歳一遇のチャンスをものにする
地方創生が遅々としている。
その最大の理由は、大都市から地方への移住が進んでいないことにある。要は、大都市の人々が地方に行く“必要条件”がみえないことである。だから、「ひと・まち・しごと創生基本方針2016」では、柱のひとつとして“地方への新しいひとの流れをつくる”と力んでみたところで、企業の地方拠点強化、政府関係機関の地方移転、生涯活躍のまち推進(CCRCのこと)ぐらいしか挙げることができない。いずれの施策も人口移動に関して地方の“十分条件”を整えることしか示されていないのである。
間違ってもらっては困るのは、地方創生は“総力戦”でやらないことには進まないのである。確かに女性の4年制大学の進学率が急速に高まったために、地方から大都市への人口移動には加速度がつき、すでに“手に負えない”感がなきにしもあらずであるが、ここでめげてはいけない。あらゆる可能性をもう一度再点検し、全力で臨んでほしい。
地方創生は、すぐれて大都市の問題である。地方がいくら大都市からの移住者の受入れに頑張ってみたところで、大都市から地方へ移住する“行動者”を生み出さなければ、ことは先に進みようがない。大都市サイドに、人口移動の“必要条件”を作りだすことに躊躇があってはならない。
大都市から地方へ移住する“行動者”を生み出すためには、何が必要なのか。筆者は2014年夏の「地方再生『三本の矢』」の提言の中で、三本目の矢として「ライフスタイルの変革」を提言した。その主旨は、地方を再生するためには大都市から地方への人の移動を活発化させる必要があり、そのためには主に大都市の人々の働き方や住まい方などのライフスタイルの変革が不可欠であると述べた。 http://www.furusatosouken.com/140823allow_3.pdf
そう、地方創生にとっていま最も必要なことは、大都市住民のライフスタイル変革に取り組み、そこから地方移住や地方への二地域居住・兼居の“行動者”を生み出すことだ。(二地域居住のことを筆者は地方“兼居”と呼んでいる。大都市に住まいをもち、地方にもう一軒の仮住まいの家をもつこと)
さて、この提言は、地方創生にとって千歳一遇のチャンスを見逃さず、地方移住や地方への二地域居住・兼居の“行動者”を生み出すためのまたとない機会をものにするためのものである。
その千歳一遇のチャンスとは、「同一労働同一賃金」の社会づくりが開始されたことである。

Ⅱ.大都市での働き方の変革をどう後押しするか
1.「同一労働同一賃金」に企業はどう向き合うのか
「同一労働同一賃金推進法」が昨年の秋に成立した。労働者の「職務=賃金」職務が同じなら賃金も同じにするために、雇用者の4割にものぼる非正規雇用について、正規と非正規の賃金格差の現状6割を少なくとも8割の水準まで引き上げるべくガイドラインを設けていく方向で検討が進められている。
これを受け、この6月1日の政府の方針はこぞって「働き方の改革」を打ち出した。「経済財政運営と改革の基本方針2016」で女性・高齢者の就業促進にあわせ非正規雇用労働者の待遇改善を謳い、「ニッポン一億総活躍プラン」では一億総活躍社会の実現に向けた横断的課題として働き方改革を示し、「まち・ひと・しごと創生基本方針2016」でも働き方改革が示されている。
とくに「ニッポン一億総活躍プラン」では、次のように述べられている。
「同一労働同一賃金の実現に向けて、・・躊躇なく法改正の準備を進める。どのような待遇差が合理的であるかまたは不合理であるかを事例等で示すガイドラインを策定する。できない理由はいくらでも挙げることができる。大切なことは、どうやったら実現できるかであり、ここに意識を集中する。非正規という言葉を無くす決意で臨む。・・待遇差の是正が円滑に行われるよう、・・司法判断の根拠規定の整備、事業者の説明義務の整備などを含め、・・関連法案を国会に提出する。」
非正規雇用の解消について、政府はどうやら不退転の決意で臨むようである。久方ぶりの意気込みが伝わってくる。
さて問題は、このことによって何が起るのか。企業の人件費総額が1割ほど上がるのである。単純な計算をすれば、企業人件費総額の水準は現在では0.84(=正規割合6割×賃金水準10割+非正規割合4割×賃金水準6割)にあるが、これが0.92(=上記の非正規の賃金水準8割)となって企業の人件費負担がおよそ1割(=0.92/0.84)高まる。非正規の賃金水準を正規並みにすれば、人件費総額は2割増えることになる。
企業は、これをそのまま甘受するのか。それで国際競争力を確保できるのか。ここで思い出されるのが、かつて65歳定年延長が行われた時、企業がどう振舞ったのかである。定年延長によって企業の人件費総額は約5%(=現役従業員数の1/8相当の従業員数に現役の4割水準給与が追加)上昇する事態があった。このとき、NTTは高齢者雇用の給与原資を確保するため、30歳代半ば以降の“賃下げ”を行ったのである。さらに子会社への転籍をしきりと行って給与総額を縮小する動きが盛んにみられた。
「同一労働同一賃金」に対して、企業はどう向き合うのかが問われている。

2.「同一労働同一賃金」は雇用制度の変革を引き起こす
若者“いじめ”の最たる非正規雇用を看過していては、結婚はおろか出生率が向上しないばかりか、この国のありようを捻じ曲げてしまう惧れがある。だから「同一労働同一賃金」はこうした事態をくいとめるため、政府は腰を据えて政府干渉的に取り組もうとしている。
これに対し、企業は、定年延長のときに比べてはるかに重い給与原資を用意しなければならないことになる。これを回避するために、企業は単に現役の給与を1~2割も下げることができるのか。また、子会社への転籍がそれほど機能するとも思えない。
では、企業は給与原資が大幅に上昇する事態に、どう振舞うのか。どう振舞うべきなのか。企業も「働き方」改革に向け動き出している。その多くは、働き方の効率を評価して長時間労働をなくすことや、女性の活躍、技術革新などに意が注がれているようだ(野村総合研究所「知的資産創造」2016年7月号“一億総活躍社会における雇用・働き方”)。しかし、「同一労働同一賃金」の動きに対しては、こうした改革だけでは済まないように思われる。定年延長時に、企業はその政府干渉的政策の意味を十分理解していなかったために、その制度を受け身で受け入れざるをえず、現役の賃下げに走ったのである。この轍は踏まないほうがいい。
非正規雇用がなくなり人件費が大幅にアップする事態に対し、「総人件費=従業員数×勤務時間×時間単価」であるとすれば、企業が取りうる選択肢は3つ想定される。
①従業員数や勤務時間をそのままにして賃下げをする
②ICTやロボットを導入して従業員数を減らす
③勤務時間を短縮して賃金の上昇を抑える
①の選択は避けたいところである。②はいずれ到来するとみられることで、「同一労働同一賃金」をきっかけにして一挙に進展すれば、わが国の生産性が向上するものの、失業率が大幅に増える。③は雇用は守りつつ勤務時間の調整によって人件費の上昇が抑えられるが、“雇用制度”の改革を必要とする。
選択肢はそれほど多くはないが、③の戦後長らく続いたわが国固有の“雇用制度”が変革できるチャンスかもしれない。
周知のように、終身雇用、年功制、退職金など日本型雇用システムは100年前の第一次世界大戦後の景気の急上昇期に、熟練労働に対する需要の増加にともなって高賃金による他社からの引き抜きの増加の対抗措置として導入したのがはじまりで、これが戦後の高度経済成長期にさらに規範化され強化された。若年人口の増加を背景に賃金の後払いのメリットを企業は享受できた。
しかし、企業を取り巻く環境は国際的なコスト競争の激化、少子・高齢化の進

展、年金会計の破たんなどが進むにおよんで、終身雇用はおろか雇用リストラが常態化し、リーマン・ショック後は“いつ首を切られるかわからない”状態となった。定年延長が行われ、一方逆に非正規雇用が大手を振って行われるまでになった。いわば、かつての雇用制度はすでに社会の変化に合わず“弥縫策”が続けられる状況に陥っている。
今後、2040年にかけて大都市圏は75歳以上が2倍、若者が減少するという超高齢社会を見越して、高齢者が健康である限りは労働力として社会に現れるように雇用制度を抜本的に改革する必要があるとまで言われるようになった。
では、「同一労働同一賃金」を受けて、企業はどのように雇用制度を改革していくのか。あるいは、いくべきか。政府干渉的政策「同一労働同一賃金」に対しては、人事制度の小手先の改良で済むとはとうてい思えない。抜本的な“雇用制度”の改革が問われる。
雇用制度改革にかかわる3つの選択肢をあげる。
ひとつは、東大の柳川範之教授が提唱する「40歳定年」である。(「日本成長戦略―40歳定年制」さくら社2013年) 長期の正規雇用と短期の非正規雇用の真ん中に、“中期”の正規雇用を設ける。人生三毛作、75歳まで働ける時代にあって、20歳すぎから同じ会社でバリバリ働き続けるのは難しい。“中期”の正規雇用として40歳になったら一度定年し、知識やスキルを再構築して再び同一会社に勤めるか、または再就職するか、あるいは副業をもって起業の準備をする、このような雇用制度に変革していく。
ふたつ目は、筆者、㈱ふるさと総研の玉田樹が提唱する「兼業」を導入する。(「兼業・兼居のすすめ」東洋経済新報社2005年) 例えば会社への貢献を7割にして給料も7割にする。これによって企業は非正規雇用の正規化の原資を捻出し、一方、従業員は3割の時間を使って副業収入を得るか、再就職の準備や起業の準備、介護や社会貢献をすることが目的だ。この中から地方兼居を行う人も出てくる。現役時代から起業する機会を得ることができるので、定年後にも生業をもって労働力に寄与できる。このような仕組みをもたないとこれからの超高齢化には対応できない。
三つ目は、経済評論家の高橋琢磨が提唱する「1.5稼ぎモデル」を導入する。(「21世紀の格差」WAVE書房2015年) 昔は夫のみが働く1.0稼ぎが一般的であったが、現在では夫婦共稼ぎの2.0稼ぎが多くなっている。しかしこれでは子育てなどがままならない。同一労働同一賃金にして1.5稼ぎモデルが一般的な社会をつくるべきだ。
「40歳定年」は、雇用期間はおよそ20年で、40歳になったら仕切り直すというものである。年限という勤務時間にかかわる雇用制度改革である。
「兼業」は、勤務日数を減らして、副業を可能とする雇用制度改革である。

「1.5稼ぎモデル」は、それを敷衍して筆者なりに“勤務時間が多様な働き方”モデルとして展開すれば、すべて同一賃金を前提として、標準タイプ(5日勤務×8時間=40時間;現在の正規雇用形態)、短日タイプ(4日勤務×10時間=40時間;ユニクロなど、介護・育児が可能な形態)、兼業タイプ(3日勤務×10時間=30時間;富士ゼロックスなど、副業もてる形態)、短時間タイプ(5日勤務×4時間=20時間;現在のパート形態)など、選択が多様な勤務形態がありうる。夫婦はこれらの多様な選択肢から1.5稼ぎになるように人生設計をする。
このように、「同一労働同一賃金」の導入は、企業がこれまでの雇用制度を「40歳定年」「兼業」「多様な勤務形態」などのいずれかの形に改革することを余儀なくし、総賃金を圧縮させることになるのではないかと考えられる。

























3.雇用制度変革は「兼業」へと向かう
地方創生は、すぐれて大都市の問題である。大都市の人々の働き方などのライフスタイルが変わらないかぎり、本当の地方創生はおぼつかない。地方への移住や二地域居住・兼居は、CCRCのように中・高齢者に頼るよりも、バリバリの現役世代を対象に実践してもらいたいからである。
「同一労働同一賃金」の加速化は、企業をして雇用制度改革へと導く。その答えは定かでないが、是非、「兼業」の仕組みが企業に導入されるよう導きたいと考える。「兼業」の考え方は、筆者が10年前に、“地方への兼居”を進めるうえで是非導入すべきこととして「“3割兼業”のすすめ」を提言した。
http://www.nri.com/jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050305.pdf
そして、今般、政府がその導入に力を入れ始めた。2014年5月の産業競争力会議で当時の茂木経産相が「起業者を増やすために“兼業・副業”の仕組みを持つよう企業へ働きかける」ことを開始した。
また、2016年3月の経済財政諮問会議で民間議員は「副業を希望するものは368万人と増えている。キャリアの複線化、能力・スキルを有する企業人材の活躍の場の拡大や、大企業人材の中小・地域企業での雇用促進などの観点から、積極的に兼業・副業を促進してはどうか」と提言した。
そして、2016年6月の「まち・ひと・しごと創生基本方針2016」ではローカルアベノミクスの実現の一環として地方のプロフェッショナル人材強化の観点から「都市部の大企業等と地域企業の間の、“兼業”促進も含めた多様な形での人事交流の活性化に向け、都市部の大企業等へのアプローチを強化する」ことが示された。
これは重要なことである。しかし、「兼業」はなにも地方へのプロフェッショナルな人材の移転を促すだけではない。地方創生にとってより大きな広い効用が期待できるものとして捉えることが必要だと思われる。
仮に企業が、40歳以上の従業員に3割兼業の雇用制度を導入したとしよう。従業員は平均して3割分、週3~4日程度の時間を自己裁量の時間に割り当てられるので、副業をもったり、自分のスキルに磨きをかけ企業内でのキャリアアップや転職の機会を窺うことも可能だ。さらには、その時間を使って起業の準備をする、子育てや親の介護にその時間を充てるかもしれない。
さらに重要なことは、地方での二地域居住・兼居が可能になることだ。田舎の空き家を借りて、地域企業のアドバイザーとなったり、農業を始めてみたり、田舎で生業(なりわい)としての起業の準備を行うのである。
地方創生本部は、まず「同一労働同一賃金」が実現するよう支援し、そして「兼業社会」が到来するよう何よりも力を注ぐべきと考える。そのことが、結局“地方への新しいひとの流れ”を加速化するのである。

4.「兼業」社会をどう加速化させるか
経済財政諮問会議に出された資料によれば、中小企業庁が2014年に4,513社に行った「兼業・副業に係る取組み実態調査」がある。これによれば、「兼業・副業を推進している」企業はゼロ、「兼業・副業を認める制度がある」企業は3.8%にすぎない。なんとも心もとないかぎりである。
だが、筆者が2015年、地方戦略づくりのお手伝いで兵庫県養父市の企業96社の経営者を対象にした「企業アンケート」によれば、「兼業を検討してみたい」が8.3%、「他の企業が実施するなら検討してみたい」が9.4%に上った。
この2つのアンケートの差から示唆されることのひとつは、「兼業」は企業のトップの判断に訴えかける必要があることだ。中小企業庁の調査はおそらく人事部が回答者で、養父市は経営者が回答者であったことにある。かつて2002年に日経新聞が主要企業106社の経営者にアンケートしたところ、「すでに社員の兼業を認めている」が6.6%もあり、「今後、検討する」が52.8%に上った。一方、同時期に行われた日経新聞の上場・非上場253社アンケートでは「ワークシェアリングを導入するつもりはない」が77%に上った。企業の人事部はおしなべて保守的なので、そこに訴求しても埒があかない。企業の将来を託された経営者をその気にさせることが早道であることである。こうした点で、「兼業」社会をつくるには、経済団体などに訴えかけることが必要かもしれない。
また、もうひとつ示唆されることは、「兼業」は各社が一斉に導入に至るようなタイミングを用意することが必要なことだ。いまから15年前、社長の主導で“40歳定年”の導入を試みたある企業では、「優秀な人材がいなくなる」という理由で見送られたことがある。「兼業」でも、1社だけ実施すれば同様にババを引くことになりかねかい。また、「兼業」は1社だけやると、平日の昼間にダンナが家にいる場合があるので、リストラされたのではないかと近所の目がうるさい。敵は本能寺にあり、背後にもいるのである。だから、各社同じ条件にして実施することが求められる。養父市の経営者が「他の企業が実施するなら検討してみたい」というのはおそらく本音に近いものがあると推察される。戦略的補完性、みんなで渡れば怖くない状況をいかに作り出せるかで勝負は決まる。
そのための第一歩は、各社の就業規則に存在する兼業の原則禁止規定を一斉になくすことである。司法の判断では、過度の疲労を蓄積しない程度で、同業でなく、イメージの低下につながらなければ副業をもつことは問題ないとされる。したがって、兼業禁止規定の排除について場合によっては法制化することも検討してほしい。
同時に、雇用保険などの制度的条件を整える。
そのうえで、兼業を実施する主要な企業を2桁の複数企業を押し立てる工作をする。リーダー企業に率先してもらうのである。すでに富士ゼロックスでは

2003年より「フレックス・ワーク制度」を導入し、社員の身分のままで兼業・自己啓発のための時間を確保でき独立のための準備が可能なようにした。副業は40%以内で1日単位の曜日または隔週で設定し、その分賃金をカットするというものである。またユニクロは介護や子育てによる離職を防ぐため、2015年より短日タイプの雇用制度を導入した。1日10時間労働の変形労働時間制を導入し、週4日勤務・週休3日とした。ロート製薬は2016年から社会貢献や自分を磨く働き方として週末や就業時間後に副業を認める制度を導入した。
このような事例は今後増えてくると思われる。まずは、こうした事例を増やしつつ、ある一群の企業集団を先進企業集団としてわが国全体を牽引するようにする。
また、わが国を代表する企業に「兼業」を取り入れてもらい、率先垂範してもらうのも手である。かつて“時短”社会を作った時にその例がある。エコノミックアニマルを返上するため、政府が“時短”の音頭をとったがなかなか進まなかった1992年、松下電器(現パナソニック)の人事部長が全国の事業所を回って説得にあたり、会社全体として“時短”の推進をいち早く開始した。その後、さまざまな企業が後に続いたのである。
政府は、「同一労働同一賃金」を進めるにあたり、企業が単に従業員数の削減や現役の賃下げ行ってアベノミクスに逆行しないよう誘導するとともに、その出口対策について選択肢を用意すべきである。その有力な出口として「兼業」があることを示し、新しい雇用制度をもって将来を切り開く努力をすべきと考える。

5.「兼業都市」宣言の導入を図る
「兼業」の実施について“みんなで渡れば怖くない”状況を作り出すために、経済団体に働きかけることのほかに、県や市町村など“地域”に働きかける方法がある。
かつて震災の復興ままならない神戸市で、経済再生に係る委員会が開かれた。そのとき筆者は「神戸“兼業都市”宣言」をしたらどうかと提案した。神戸は10大都市の中で起業発生率がきわめて低い状態が続いており、このままでは経済の活性化がおぼつかない。起業者が少ないのは、多くの人々が業績低迷にあえぐ重厚長大産業に丸抱えで雇用されたままなので、起業の自由度がきわめて低いことにあるとみられたからである。そこで、市内の企業全体に“兼業”の雇用制度を導入してもらい、副業の時間を使って起業の準備を促したらどうかというものであった。議論は大いに盛り上がり市もその気になったとみえたが、最後に委員長の「兼業とはいかがなものか」の一言でチョンとなった。
また、2014年秋に神奈川県の副知事を訪問して、地方創生はすぐれて大都市の問題である、是非、先進県である神奈川県の協力方を申し入れた。そのなかで「“兼業”県神奈川宣言」をしてほしい旨をお願いした。“地方への人の流れをつくる”観点からいえば、企業が「兼業」の人事制度を導入することは、地方再生の最も重要な肝である。兼業の時間を使って、地方への二地域居住を開始し地方での起業の準備が始まる可能性が高まるからである。国は、企業が「兼業・副業」の人事制度を取り入れるよう働きかけに着手したので、これに呼応し連携をとりながら、神奈川県でも県下の企業への働きかけを経済界などと一体となって行う。そして、県全体を兼業地域とすべく、「“兼業”県神奈川宣言」を県議会などで採択してもらい、県が推進役となって企業の兼業を推進していく。兼業の先にあるのは地方や神奈川県内地方部での二地域居住であり、起業の推進である。
こうした「“兼業”都市宣言」は残念ながら筆者の力不足で未だ陽の目をみていないが、地方創生本部は是非、地域単位での「兼業」導入の働きかけを行ってほしいと考える。
大都市がなかなか動かないのなら、地方都市からモデルをつくるのも一案だ。先に述べた養父市では、兼業をやってもよい、他企業がやるならやってもよいが合わせて2割近くに上る。まず、こうしたところで「兼業都市・養父」を宣言してもらい、世の率先垂範を担ってもらうことを検討してもよいと考える。

6.100万人単位の「二地域居住(兼居)」する兼業者の発生
このように、「同一労働同一賃金」の動きをきっかけとして、企業は「兼業」などの雇用制度の導入へと向かうことが期待される。
そして、兼業を行う人たちにうちの中から、二地域居住に向かう一群が現れてくる。㈱パソナのパソナキャリアカンパニーは、企業の早期退職者向けの再就職支援を行っている。一般的な再就職支援とともに、セカンドライフ支援「独立・社会参加」「海外就職」「田舎暮らし」などの支援を行っている。「田舎で働く」ことを支援する割合は、再就職支援全体の5%程度あるという。
こうしたことから、仮に大都市の男子労働者およそ1,800万人の半分1,000万人が兼業を行うとすると、まずは5%にあたる50万人は田舎で働くことを選択するとみられる。
創生本部が「田舎で働くトライアル」を大いに奨励すれば、5%を10%にまでもっていくことは十分に可能だと考える。筆者が2009年に全国10万人アンケートをしたところ、現在仕事を持っている人を含め社会人全体の30%が「田舎で生業をつくりたい」としているので、次章に述べる「田舎での受け皿づくり」、人口移動の魅力的な“十分条件”の整備を行えば、10%~30%、100~300万人を超える単位で現役の兼業者が田舎に向かうことになるだろう。
地方への移住をいきなり実行に移すことはなかなか難しい。大都市を切り捨てていくにはあまりにリスクが大きいのである。だから、トライアルとしての二地域居住がある。兼業社会が生まれれば、手探りで二地域居住・兼居を開始し試行錯誤して本当に住める田舎を見つけることが可能になる。
だから、地方創生にとって「兼業社会」は必要条件である。兼業社会が生まれれば二地域居住・兼居の社会に一歩近づく。兼業・兼居社会の到来である。

Ⅲ.兼業者100万人単位の受け皿を地方でどう作るか
1.現役のノウハウを地方で活かすネットワークづくり
兼業社会が実現すれば、兼業をする人の5%、50万人は、地方がその受け皿である“十分条件”の整備をしなくても、田舎での兼業を開始するだろう。
問題は、それを10%や20%に高め、数にして100万人、200万人が地方に移動する人口の大逆流をいかにして作るかである。
そのため、大都市での「兼業」の“必要条件”づくりに加えて、地方での「受け皿」の“十分条件”づくりが不可欠となる。大都市の兼業者を吸引する魅力づくりを改めて地方は考えなければならない。いうまでもなく政府は、兼業者が増えるようそして地方への移動が増えるよう多彩なメニューを用意して、そのインセンティブを高める政策を打つ必要がある。
そのひとつが、現役のノウハウを地方で活かすネットワークづくりである。いま働いている企業で培ったノウハウが副業で生かせるなら、兼業を行うとしても3割減った給料をカバーしやすい。あるいはそれ以上の収入が期待できるかもしれない。
地方の企業は人材を求めている。地方には働く場がないので人々は東京に出てくる、それはその通りなのだが、一方、専門的人材は全く足りていない状況が続いている。
兵庫県養父市の企業アンケートによれば、今後事業活動を存続し発展させていくための最大の課題は、「専門的な技術・知識・経験をもった人材の確保」で62%の企業が挙げている。また「一般の従業員の確保」40%、「後継者の確保」25%となっており、人材確保が最重要課題となっている。他の地方でも概ね同じ状況にあるとみられる。
養父市の例では市内企業96社に100人規模の人材ニーズがある。1社1人以上である。地方全体では数十万人規模のニーズが存在すると推定される。
だから地方創生本部は「基本方針2016」で、“企業の地方拠点強化”をあげ、地方企業のプロフェッショナル人材強化の観点から「都市部の大企業等と地域企業の間の、“兼業”促進も含めた多様な形での人事交流の活性化に向け、都市部の大企業等へのアプローチを強化する」としたのだと考える。まさに“true”である。都市部での兼業を進め、地方企業との人事交流を活性化させる、そのことを急ぎ実施しなければならない。
だが、事はうまくいくか分からない。かつて東京商工会議所が“生涯現役”事業として地方の商工会と組んで、リタイア者のノウハウを地方企業に結びつけようとしたことがあった。しかし、これはうまくいかなかったようだ。その理由は判然としないが、おそらく退職者が対象であったためではないかと考え

られる。定年延長の議論が進んで退職者が動くに動けない状態になったことがいけなったのかもしれない。
今般は、現役世代の兼業者が対象になる。現役兼業者のノウハウを地方企業の足らざる人材としてどうマッチングさせるのか。勝負どころである。
まず、現役の兼業者が副業としてノウハウを移転することになるので、司法判断の「同業他社」要件が問題になる。競合する同業他社へのノウハウの移転があれば、企業として到底受け入れられないだろう。しかし、地方の中小企業の同業他社であれば、どうだろう。同じ業界であっても、“同業”と呼ぶにはあまりにも業態や競合エリアが違うのである。ノウハウが生かしやすいのは同じ業界の仕事であるので、副業先が同業であっても地方の中小企業であればそれが可能になるよう、まず副業先の地方企業「同業他社」要件についてしっかり整理することが必要である。
その上で、大都市企業の兼業者と地方企業の求人要件とのマッチングの仕組みを構築する。地方企業が求める専門人材は、製品開発、マーケティング、貿易、会計、その他など多岐にわたるうえ、一般の人材の募集も行っているので、マッチングが的確に行われるような体制づくりをしたい。
人口移動の地方サイドでの“十分条件”を用意するためには、まず、地方の企業の求人情報を網羅的に掘り起こし探索し、地域別に職務や勤務条件などセグメントされた情報を整備することが不可欠である。そのため、地方企業に対して、大都市の企業人が専門性をもって地方企業に顧問やアドバイザーで来ることを、大々的に喧伝し求人情報を掘り起こすことを“急ぎ”始めたい。
その上で、大都市企業に対して、兼業者の地方での副業先を紹介するネットワークを構築する。東京商工会議所と地方の商工会のかつての取組みをもう一度掘り起こし再活用するのも一案だ。ハローワークのネットワーク端末を企業の人事部に設けることも場合によっては検討する必要があろう。NPOふるさと回帰支援センター(有楽町)の各道府県ブースにネットワーク端末を置くことも一手である。さらに、人材紹介企業などがこぞってこの分野に有料仲介事業として参加すれば、地方創生にかかわる新しい産業が生まれることになる。
このようにして、大都市の兼業者は、週1日、隔週2日などを地方の企業のアドバイスにあてその対価をうる。地方での二地域居住・兼居を実践する人が格段に増え、“地方への新しいひとの流れ”をつくることができる。そして、このことが、兼業者をして地域とのつながりを深め、いずれ移住する人が増えることが期待される。

2. 「ふるさと起業」の環境づくり
兼業社会を迎えれば、100万人規模の大都市兼業者が地方に向かう。そのなかで数十万人の人たちはプロフェッショナル人材として、地方企業と雇用関係を結び副業をもつだろう。そして他の数十万人の人たちは、これといった副業先がないまま、ある種の期待を込めて地方での二地域居住・兼居を開始する。
この副業を特定しない人たちは、本業での雇用関係に加え副業でも雇用関係をもつことに煩わしさを覚える人たちである。だが、二地域居住・兼居であるとはいえ、のんびりリフレッシュばかりしてはいられない。何かやることを必ず探す。
その答えのひとつが「生業(なりわい)」づくりである。そんなに大きくなくてもいい、儲からなくてもいい、自由にできる時間を「自己雇用」の機会の開発に向けていくだろう。
都会からの移住者が田舎で起業する例は多数ある。しかし、田舎に行ってすぐにいきなり起業するのは難しく、起業したとしても撤退することが多い。地元地域との関係が不十分なため、さまざまな点で支援が受けられないからである。起業開始は、田舎に行ってから2~3年程度は必要とみられる。
だから、いきなり移住は避けるべきである。こうした点で、兼業者が二地域居住・兼居を行うことは、その場が自分に向いているかどうかをトライアンドエラーできる利点をもつ。
地方は兼業者の二地域居住先としてふさわしいか、トライアンドエラーの試練にさらされることになる。そのため、兼業者が二地域居住しやすい環境を用意し、その獲得競争に勝たなければならない。
とりわけ重要なのは、起業しやすい環境があるかどうかだ。2~3年二地域居住を続けた人は、その地域の実情を十分認識し、自分だったらこれができる、というものを見つける。そのとき、その思いを形にできる支援体制があるかどうかである。
とくに「ふるさと起業誘致条例」があるかどうか。起業までの“準備費用”を地域が面倒みてくれるか。“準備費用”とは、開業までの支援金である。開業時の設備投資などは別途の融資を必要とするが、そこに至るまでのマーケティング、原材料調達など事業計画にかかわる費用や会社設立登記などの準備資金が対象になる。これまでの「企業誘致条例」を個人型の置き換えるのである。(詳しくは、筆者の提言「地方再生・三本の矢」の第二の矢を参照されたい)
地元企業の雇用者にならない兼業の二地域居住者は、「七人の侍」である。都会人の目、現役の企業人の目などから、地域の問題を発見しどう解決したらいいかを探索し、そして自ら率先してそれを実行するだろう。

3.社内失業からの脱却のためのリトリートの場づくり
企業に「兼業」制度を導入してもらうインセンティブをつくるために、地方は、企業の「社内失業への対応の場」を作って人口移動を惹きつける“十分条件”を用意したらたらどうか。
東大の柳川教授によれば、社内失業者はおよそ500万人、雇用者数の10%に及ぶという。早稲田大学の小杉正太郎名誉教授(社会心理学)によれば、企業カウンセリングを通してストレス症でうまく働けない人は平均してそれぞれの企業に8%いるという。筆者がリーマン・ショック1年後に全国10万人アンケートをとったところ、「自分の健康回復のために田舎に行きたい」が13%に及んでいることがわかった。
これらの数字は決して少なくはない。適性に欠けたり、ストレスによってうまく企業内で仕事ができずにいわば戦力外通告を受けているのは10人に1人と数多い。企業にしてみれば解雇もできず大きなロスを生んでいる。
柳川教授は、だから40歳定年で一度人生を見つめ直す時をおくべきだという。筆者は、「兼業」によって、“田舎でのリトリート”を行う仕組みを用意すべきと考える。一時的避難所。小杉名誉教授によれば、企業内で精神的ストレスをもつ人は、一時的にその場から離して回復させることが不可欠であるという。兼業の時間を使って仕事から離れ、田舎で土いじりをして健康を回復するのである。鳥取市に本社をおく㈱LASSICは、東京の大手ITC企業のストレス者を1週間鳥取でカウンセラーつきで土いじりをさせ、その回復に寄与している。
これにならい、大都市の兼業者を誘導し、地方で農業をしてもらう体制を整備する。それぞれの市町村が、特定の企業と向き合って、継続的なリトリートの場を提供するのである。
「企業人のためのリトリート・フィールド」(RFBP;Retreat Field for business person)を全国各地に用意する。このフィールドに企業人が来て土いじりをすることを支援する農業経験者や支援団体も必要だろう。また、1週間程度、多人数が宿泊する場も必要だ。空き家などの活用体制を整える。
こうしたRFBPでの企業人の活動を支援する専門企業の出現が不可欠となる。特定の企業と契約し、ストレス者をRFBPに連れていきカウンセラーの指導のもと農作業を通じて健康回復させる。先のLASSIC社以外に人材派遣業などが専門事業者として多数登録し支援する体制をつくる。ここにひとつの産業が興る。
地方創生は、このRFBPの全国への展開を通じて、大都市企業人の健康回復に寄与することを是非進めてほしい。CCRCも結構だが、RFBPのように“現役”の企業人を地方が支援し、それが縁となってその土地に移住してくることが大いに期待されることにつながるのである。

4.「兼業」と「雇用の調整の場」としての企業の農業参入の場づくり
大都市に兼業者が溢れかえるのに対応し、改めて「企業の農業参入」に対応する“十分条件”を地方につくりたい。
2008年のリーマン・ショックは企業にさまざまな教訓をもたらした。そのひとつが雇用の調整弁・バッファーとしての農業の取込みである。トヨタグループの㈱アイシン東北(岩手県金ヶ崎町)は、不況時の対応として、農業を新規事業に加えた。リーマン・ショック時、開業以来の初めての赤字を回避するため、多くの従業員をリストラした。その半年後の中国特需への対応のため従業員の呼び戻しを行ったが集まらず、多くの機会損失を被った。社長は、「こうしたことを繰り返していては、従業員は育たない」と考え、不況時に従業員を解雇せずに乗り切る方策として農業を新規事業として取り込むことに踏み切った。
折しも2009年に農地法が改正され、リース方式で一般企業が農業に参入することが全面自由化し、リース期間も最長50年に延長された。その結果、法改正後6年間で約5倍のペースで参入が増え、農水省の調べでは2,039の法人が農業に新規参入した。その多くは、食品関連産業、農業・畜産業、建設業など本業の拡大に対応するものが占めるが、一般製造業やIT企業、小売業などの参入もみられるようになった。
製造業やIT企業の農業参入では、企業の“社会貢献事業”として農業に参入している例は多数みられる。特定地域の農業を企業従業員や家族で応援する姿はあちこちでみられるようになった。
とりわけここで強調したいのは、“雇用の調整弁・バッファー”として農業に参入する例が増えてきていることだ。先のアイシン東北にみられるように不況期の解雇を避けるための雇用の調整弁として農業に参入した。またIT企業の㈱つばさ情報(埼玉県深谷市)は、65歳の定年対策や不況の中でも働ける職場を確保することを目的として農業に参入した。ソフト販売を行っている㈱アシスト(東京都千代田区)は、不況時の給料減少に備え社員が自給自足の備えができるように週末農業のための農地賃借料を助成し、難局を一種のワークシェアリングで乗りきる体制を整えている。配電・電気・空調事業を行う㈱九電工(福岡県福岡市)は、社員の余剰を防ぐために農業・一次産業に本格参入し、熊本県天草市でオリーブ栽培とその加工販売事業を開始した。
「同一労働同一賃金」の圧力は、賃金総額の上昇を抑えるため、企業に「兼業」などの雇用制度の改革を促していく。そればかりでなく、さらに、政府が言っているように“非正規”がなくなりすべてが“正規”社員扱いになれば、企業は大きな固定費を抱え込むことになるため、「雇用の調整弁」を用意することが必要不可欠になってくる。これもひとつの雇用制度改革となる。
「雇用の調整弁」に対応するものとして、企業の農業参入を促し、地方創生

に寄与したい。
加えて、兼業者は、3割兼業に相当する時間を使って自ら副業の機会を設けたり、起業の準備をして少なくなった賃金の回復に努める。しかし中には、そのようなことに不得手な人がいるのも事実である。そうした人に向けたオプションのひとつとして、企業が田舎での農業の機会を提供する。
こうした雇用の調整弁、兼業への対応としての企業の農業参入は、企業にとって新規事業でもあるが、より正確にいえば“人事部門の新規事業”である。100年におよぶわが国特有の雇用制度を変革するため、避けては通れない道であると思われる。
「企業の農業回帰アンケート」(2014年、ふるさと総研、JTB総研、日本総研)によれば、http://www.furusatosouken.com/140820nogyo_kaiki.pdf
企業が農業に参加していくに際しての支援策として3つがあげられる。ひとつは、「社会的風土づくり」である。企業の農業回帰は世の中ではあまり一般的でないため、株主への説明のためにも、また従業員が取組みやすくするためにも、社会的風土づくりが必要である。ふたつ目は、「資金的な支援」である。土地の調達や設備投資の資金に加え、慣れない従業員を研修する必要から雇用調整金を使えるようにする。三つ目は、自治体の協力である。農地の仲介などを含め、ノウハウも持たず土地の手当てもままならない一般企業にとって参入する地域の自治体によるサポートが不可欠である。
このような企業の農業参入に対応して、地方は今からその場を用意する準備にとりかかる必要がある。あっ旋する農地、宿泊場所、農業技術支援体制などやるべきことは多い。それぞれの地方は、誘致する企業を探すことを開始されたい。

5.「新型の企業(人)誘致」と「新しい企業(人)城下町」の形成へ
(「1市町村M企業」運動の展開)
このようにして、地方は「新型の企業(人)誘致」と「新しい企業(人)城下町」の形成に向けて地方創生を図りたい。
かつては、企業誘致といえば工場の誘致であったが、「新型の企業(人)誘致」とは“企業人”の誘致である。企業城下町といえば企業や工場のあるまちのことであったが、「新しい企業(人)城下町」とは“企業人”の城下町のことである。
政府は地方創生に向けて、“企業”の地方への移転をオウム返しに言うばかりだが、本質は違う。人、とりわけ現役の“企業人”の地方移転を図ることこそが、今日的な課題である。
ここであえて企業誘致や企業城下町という古臭い言葉を使ったかといえば、企業従業員のためのリトリート・フィールドや雇用調整の場としての企業の農業参入に対応するためには、地方はある特定の企業を対象にして受け皿を用意することが現実的であり、それは必然的にある企業を誘致することになり、その結果ある企業の城下町ができあがるからである。
このことは、企業の専門人材の地方移転においてもある程度想定できる。兼業をする専門人材が全国各地に副業として赴くとはいえ、兼業する人材からみれば、同一企業の先人が赴いた地域の情報を得て、同一の地域に副業をもつことが現実的のように思えるからである。
このようにして、企業の兼業化という“必要条件”が成立すれば、地方は兼業を行う特定企業の“十分条件”を用意する、という相対関係が成立してくるようにみられる。1市町村に特定の複数の企業が誘致されることが考えられるので、「1市町村M企業」という呼び方をすることも可能だろう。こうした運動を全国展開したい。
いずれにしても、地方創生本部は、このことに意を配して地方創生に道筋をつけるべきと考える。

Ⅳ.「兼業」を促進し「二地域居住」に向かわせるインセンティブ
1.「兼業」を生むインセンティブ
「終身雇用・年功序列」というかつて成功した雇用システムを、社会の変化に合わせ「兼業」というシステムに置き換えられるかどうか。一般に、雇用政策にとって“北風政策”は採用できないといわれる。多くの従業員が負担を強いられる政策は成立しにくいからである。
「兼業」は“北風政策”なのか。年配の人たちや定年退職者たちは“北風政策”と言う。給料が減れば、子どもの学費や住宅ローンがままならなくなるからである。“では、あなたのお子さんやお孫さんにとってはどうか”と聞けば、答えはきわめて不明確になる。
問題は、“将来”なのである。非正規雇用をなくすのである。このことが、計り知れない利益を社会全体にもたらしてくれるのであれば、“将来のため”を強調して「兼業」システムを導入するしかあるまい。
昭和女子大の八代尚宏教授は「『同一労働同一賃金』は正社員にも無縁ではない」(DIAMOND online 2016年2月)という。まさにその通りである。だから、いまから“正社員も無縁ではない”ことを政府は喧伝すべきである。身構えてもらいたいし、後世代のためにいい知恵を引き出してほしいのである。定年延長時のように、ダマテンでいきなり制度導入では世の中に変わりようがない。
とはいえ、「兼業」へのインセンティブ政策も欠くことができない。兼業に突入しても十分やっていける、という見通しがないとなかなか兼業には踏み切れない。だから政府は、副業の機会や起業しやすい環境を整備する必要がある。とりわけ、すでに述べたように、地方に行って副業や生業がもてる仕組みが用意されていることをしっかり喧伝する必要がある。
とくに、現役の雇用者にとって、学費と住宅ローンは避けて通れない。いい知恵があるわけではないが、例えば、政府が導入するという「給付型奨学金」の優先利用枠を兼業者に振り向けることを検討してみたらどうだろう。また、住宅ローンの年間返済額を7割にして返済期間を延長するよう金融機関に働きかけることも必要だろう。
さらに、雇用保険の教育訓練給付制度を活用してキャリアアップのための研修に助成することや、雇用調整助成金で教育訓練を受けやすくするなど、兼業時間が有効に使える措置を講ずる。
また、起業の準備に取り掛かれる環境づくりも欠かせない。実際の起業に際しては設備投資資金などの融資体制が結構整ってきていると思われるが、起業に至るまでの活動資金や会社登記などに必要となる資金の助成体制をしっかり準備することが求められる。
2.兼業者を地方に向かわせるインセンティブ
兼業者はその5%は地方に向かう。それを10%、20%に高めるためのインセンティブを用意する。
まず、「第2住民票」の導入を検討したい。兼業者が行う移住とまでいかない半定住、二地域居住・兼居のために、住民基本台帳法を改正し、「第2住民票」を位置づける。これは一定期間、その地域に二地域居住する人を対象に、市町村が発行するもので、この総数が“地方への新しいひとの流れをつくる”ことの成果に結び付く。
この「第2住民票」をもって、住民税の課税方式の変更をし、大都市本居地と二地域居住地間の住民税の案分をする。ふるさと納税がバーチャルな住民税の移転であるとすれば、「第2住民票」による住民税の移転はリアルな移転となり、地方創生に大いに寄与することになる。地方は競ってこの「第2住民票」の発行に走るだろう。重要なことは、二地域居住者は、この住民税の案分により地域での疎外感をなくすことができることだ。ごみを出し道路も使って税金を払わないのは大いに気が引ける。「第2住民票」による住民税の移転はこの問題を解消してくれる。案分は定率方式でもよいし、年間の居住期間を二地域居住者による申告や電気メータによる計測などで捉えることもありうる。
さらに、第2住民票をもつ人に対して、二地域居住間の移動費用に適用する運賃の割引制度の導入を行う。二地域居住を行う人にとって、頻繁な往復移動に伴う交通費が大きなネックとなる。これによる出費で二地域居住をためらわないようにするために、第2住民票の所有者に対して割引定期券を発行するなど鉄道、航空機、高速道路などの運賃割引を運送事業者に働きかける。実施した企業に対して、割引分などを減税の対象にしてその機運を高める。
加えて、第2住民票所有者に対し住まう空き家の賃貸料について助成があってもよい。空き家を賃貸する建物所有者に対しては、固定資産税の非課税や改修資金の所得控除などを行うべきである。
また、すでに述べたが、起業しやすい環境を用意することも忘れてはならない。やるべきことは多々あるということである。


Ⅴ. “地方への新しいひとの流れをつくる” 再考
政府の地方創生の4本柱のひとつ“地方への新しいひとの流れをつくる”は、企業の地方拠点強化、政府関係機関の地方移転、生涯活躍のまち推進の3つで本当に形にできるのだろうか。手の内にある政策だけで、本当に地方創生が進むのだろうか。この提言を書くきっかけになったことである。
思えば、半世紀も前、金の卵ともてはやされた大都市への大きな人口移動があったが、それが逆転しないかぎり地方は元には戻らないと思い続けてきた。そのチャンスが到来した嬉しさがこの提言へとつながっている。
わが国社会の“構造的改革”なくして、“地方への新しいひとの流れをつくる”ことはできないと考える。総力戦をやってほしい。その構造的改革の千歳一遇のチャンスが「同一労働同一賃金」にある。
「地方創生基本方針2016」で“局所的”に示した“兼業化を進めてプロフェッショナル人材を地方に回す”、これはまさに“true”である。しかし見ようによっては、これも所詮、経済財政諮問会議の“兼業・副業”提言のつまみ食いと言われてもしかたがないのではないか。事の本質を見ているとは思えないのである。
兼業が起るのは「同一労働同一賃金」という政府干渉的政策が動くことによってである。この政府干渉的政策を千歳一遇のチャンスと捉え、“悪乗りして”企業を「兼業」へと導くことが地方創生にとって大事なことではないか。
そうした社会の構造改革なくして、地方創生は夢に終わる。このことは政府が行うべき優れた「公助」である。“地方への新しいひとの流れをつくる”といっても、地方はせいぜい見栄えのする受け皿を作ることしかできず、地方単独の力では難しい。その流れの“必要条件”を作ることは、国にしかできないのである。
不退転の「同一労働同一賃金」この千歳一遇のチャンスを捉え、人口移動の大逆流を起こしてほしい。「兼業・兼居」社会を是非かたちにしてほしいと願うばかりである。
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2015年10月05日

「スウェーデン・モデル」から学ぶべきこと - 吉田不二夫

 要旨
 新アベノミクスは、まさにスゥェーデン・モデルを志向している。本論では、スゥェーデン・モデルができた経緯と内容を簡単に紹介し、わが国がそこから学ぶべきことを提言している。
 提言の第一は、企業の競争力を高めるための方策である。企業はそれぞれ、技術開発、営業戦略等の努力をしているが、わが国の企業内には、若者の意見が通らない、是々非々の議論ができない、電力ムラのような官庁と企業のなれ合い関係があるなど、独特の日本文化があり、競争力強化を妨げている。それを改めるには、スゥェーデンが行ったように、グローバル化を進め、厳しい競争環境に晒して、経営力を高めることである。
 その第二は、職業教育。日本には200数十の国家資格があるが、その取得試験が理屈重視で、実務的、実用的ではない。多毛作、多重作時代にあるスゥェーデンでは、資格取得のための学習、費用等を全面的に支援し、実用的な人材を育成している。
 一方、地方創生を図るとき、各自治体にとって国家資格を有する実務的人材が必要になること必定である。「エイジノミクス」との関係も深い。そのためにも、その教育内容、試験内容等をスゥェーデンから実地に学ぶべきことを提言している。
 
 安倍首相が新3本の矢として、「希望を生み出す強い経済」、「夢を紡ぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」を発表した。これはまさに「スゥェーデン・モデル」そのものではなかろうか。
  嘗て、大きな「社会的イノベーション」を果たしたスゥェーデンでは、極端な市場主義の下で高福祉化をも実現し、「スゥェーデン・モデル」は、わが国でもしばしば引き合いに出されて来た。このような社会が実現した背景にある国の産業政策、教育方式等諸々の事情において、現在のわが国とでは大きな差がある。
 本小論では、新アベノミクスを達成するためにスゥェーデン・モデルから学ぶべきこととして、「企業の競争力を高めるために必要なこと」、「職業教育のあり方」、「エイジノミクスとの関わり」の3つの観点から論じた。
 先ず、周知の事実と承知の上で、「スゥェーデン・モデル」の成立の経緯と、制度のあらましを紹介し、後半では、わが国として何を参考にすべきかを考える。

1. スゥェーデン・モデルの成立経緯
スゥェーデンは第二次世界大戦に参加していないので、戦後、非常に有利な立場に立
ち、経済的にも潤った。そのとき、労働力不足から女性が労働力として駆り出された。
その結果、家庭の担い手が無くなり、一時的に家族制度が崩壊状態になった。経済は発展したが、離婚率と自殺率が極めて高いという悲惨な状況を招いた。そのような社会混乱の中で国がとった政策は、「国民経済を発展させて、国が国民を守る。」というものであった。  
そのために競争力強化を重点とした市場改革、労働市場改革を行うとともに、女性がより機能するための教育改革をも行った。さらに女性が安心して働けるための育児・保育制度を充実し、そのような中で、求められるままに社会保障制度の整備が進んでいった。スゥェーデンの場合、社会保障制度を構築したというより、その前段階として市場改革、労働市場改革、教育改革を行ったことが注目される。換言すれば、スタート時点から経済のサプライサイドを強くするための政策があり、社会保障制度はそれを補うためのものであった。

2. スゥェーデンの経済と社会
* スゥェーデンでは、競争政策が徹底している。サプライサイドを強くしなければならないという考えに立脚しているのである。企業の競争力をつけるために、法人実効税率は25%以下と日本の40.7%に比して格段に低い。一方企業に対する保護や、支援策は最小限で無いに等しい。リーマンショックの後、サーブ自動車が倒産しそうになって国に支援を求めた。スゥェーデン政府は、弱い会社を残すと経済全体が弱くなるので支援を拒否した。日本ではかっての銀行支援、最近では日本航空、東電の救済等々、善悪は別にして企業に対して甘い。
* 人口900万のスゥェーデンは、市場が小さいこともあり、産業政策として早くから多国籍企業化を図ってきた。現在、人口当たりの多国籍企業数は世界一であり、自動車のボルボやサーブ、通信のエリクソン、家具のイケア、アパレルのH&Mなどが有名である。多くの産業はグローバルな競争市場に晒され、生産性の低い産業は、淘汰されざるを得なかった。その結果、いわゆるリストラが日常茶飯事となり、労働者は新たな職を求めざるを得なくなり、政府としても生産性の高い産業への労働力移動を図るため、職業教育の重要性を認識するようになった。
多国籍企業は、その性格上国内政策の意にならぬ部分もあり、結果的には労働市場の流動性を一層高めることになった。
* 一方、スゥェーデンでは労働者に対しても厳しい。病気で休めば2週間後から賃金カット、会社に仕事が無くなれば即解雇、健康保険組合も無く、ブルーカラーには退職金も無い。
* 2014年のGDP/人は、スゥェーデン58,490ドル、日本37,400ドルと彼我の差は大きい(為替の問題があるので、単純に比較はできないが)。この経済力の差は企業の努力がもたらしたもので、その中で国民は、平均31.4%もの比例的な地方所得税と25%の付加価値税を支払っている。地方所得税は給与だけでなく、年金、失業給付、育児手当などからも源泉徴収される。 
* 所得のうちの社会保障負担率と租税負担率を合計すると約75%、所得の約4分の3が国や地方公共団体に持って行かれているのである。日本では約38%である。
* 企業の社会保障負担は、支払賃金の31.4%と極めて高いが、日本のような通勤手当、扶養手当などの福利厚生費や年功賃金はない。国家が手厚い安全網と社会保障を提供するので、企業は裸の賃金を支払うだけで済む。

3.スゥェーデンにおける各種施策
スゥェーデンの社会福祉制度は、年金、保険医療、障害者、高齢者、遺族、家族・育児、失業(特に女性の復職支援)、住宅取得等々の多岐にわたってトータルとして手厚く施されている。しかし、年金給付だけ取り上げると日本より低い。以下にいくつかの例を記す。

1)教育制度について
* 日本の場合の学校教育は、特別なコースを除き、フルコースの教育を施し、企業で即戦力になる教育が少ない。スゥェーデンでは職業教育、職業訓練にも注力しており、特に若年者、失業者に対してもその機会を多様な形で設けている。
* 失業者の再就職訓練では、職業安定庁が学校、非営利組織、民間企業から訓練プログラムを購入し、希望者に提供している。失業手当と職業訓練をリンクさせる(訓練を受けないと手当が出ない)ことにより、効率を上げている。
* 日本では、大学の授業料が高額だが、ドイツ、スゥェーデンではゼロである。
日本国立大学240万円、私立医学1,700万円(県立高校12万円)

2)子育て支援について
* 育児休業手当として子供一人につき390日間は所得の80%、残り90日は日額180クローナ(約2250円)を保障している。このような制度に保護されて、1999年の過去最低出生率1.5から2010年には1.93になっている。
* この制度は女性の就業率、年齢別就業パターンにも反映されている。2011年の日本の就業率46.2%に対してスゥェーデンは62.2%である。また、日本は25歳から29歳にピークを迎えたのち、35歳から39歳まで一旦落ち込み、その後45歳から49歳までにまた回復するが、スゥェーデンでは年齢による落ち込みが無く、男性と同じパターンをとる。日本の場合、第一子の出産による退職が影響しているものと推測される。
* 日本では、潜在保育士(幼稚園教諭、保育士)の合計が全国で約70万人と推計され、離職の理由の約50%が低賃金(特に保育士)で、本人の育児、人間関係などが続いている。

3)賃金体系について
* スゥェーデンでは、「連帯賃金政策」と称して同一職種の賃金に格差はなく、性別、正規・非正規、企業規模による差も殆どない。正規、非正規に関わらず、年金、健康保険、雇用保険への加入も可能。
* 日本の企業で非正規社員等が生まれたのは、後発国の安い人件費に対抗するためであり、現在の非正規社員の賃金を正規社員並みに上げると、当該企業の競争力が落ちる。その結果、当該企業は外人労働力に頼るか、淘汰されるかいずれかの道を辿ることになる。国が非正規社員の正規化に補助を与えれば、競争力の弱い企業が残ることになる。
* スゥェーデンの同一労働・同一賃金の制度は、この面でも企業の競争力を強める役割を果たしている。

4)要介助生活者の保護
* スゥェーデンでは、コミューン(地方自治体の最小単位)が必要な介助、補助について、経費も含めすべて責任を持つ。結果、自宅で1人でも不自由のない生活が保障されている。この部分には市場原理が働いていない。
* 日本では、国家の介護士資格保持者で従事していない者が約20万人いるものと見られる。仕事の厳しさに比して給与が低いことが原因とみられている。

4、スウェーデンは参考になるか
1) 直ちにスゥェーデン・モデルに移行することは不可能
スゥェーデン・モデルの特徴は、大きな経済成長と高福祉が両立した社会である。わが国にとって、一気にこのような社会体制になることは、明治維新にも匹敵する社会変革(ソーシャル・イノベーション)を起こすことであろう。
明治維新時の人口は約3千万人、しかも民意は極めて低かった。現在は人口1億3千万人、しかも民意は極めて高い。消費税10%すら民意を得られない今の日本に於いて、平成維新は不可能だと考えるのが妥当である。スゥェーデンの人口は約900万人、この人口と強力な政治指導力がスゥェーデン維新を可能にしたのではなかろうか。しかも先ず経済成長から手を付けている。
今の日本で先ず達成すべきは、一に経済成長である。そのためには、国の産業政策と個々の企業力に頼らざるを得ない。果たしてそれは実現可能だろうか。
実はその可能性は十分ある。それは、もちろんプロダクト・イノベーション等への期待もあるが、むしろ全く異なる視点から期待されるのである。

2) 強い企業になるためにスゥェーデンから学ぶべきは、企業のグローバル化
 わが国企業の経営力は国際的に見て弱い。社外重役の導入、コーポレートガバナンスの確立などが言われているが、その最大の原因は、わが国独特の企業文化にあるものと考える。それを変えるには、以下のことが必要である。
* 意思決定・責任体制を明確にし、集団的責任体制の隠れ蓑の下、責任をあいまいにするようなことをしない。
* 出る杭を打たない、積極的な挑戦を受け入れる、若者の意見も聞く、是々非々の議論ができる等々風通しの良い社風、社内体制を作る。
* 年功序列制度を廃止して、社員の客観的な評価体制を作り、社内にいい意味の競争社会を作ること。
* 世襲制、学閥、お世辞(おべんちゃら)人脈、出身母体等々能力に無関係な派閥、人脈を作らない。特に、ムラオサ的特定の上役が特定の部下を引き上げるような人間関係を作らない。
* 親会社、国から無能な人材を天下りさせない。電力ムラ、通信ムラ等、官庁と企業の関係を切る。3.11の東京電力の原発事故では、日本の経済を大きく損なった。

悪しき日本文化の改革に関しては、日産自動車のカルロス・ゴーン社長の就任後の変化
も良い事例である(日産の場合は、強力な労総組合の存在もあったが)。日本でも、ベンチャー的に設立された企業で、当初は日本の悪しき文化のなかったものが、大規模化するにつれ、悪しき文化が蔓延する例も多く見る。ソニー、NTTドコモなどがその例である。
わが国にも多くの多国籍企業があり、海外では強烈な市場競争にさらされているので、
わが国独特の企業文化も変えざるを得ない。ところが、国内に戻ると悪癖に戻る。
 激しい競争によるギクシャクとした人間関係を好まない日本人の美徳とされる精神構造を変えるイノベーションなのかもしれない。
 わが国企業のグローバル化は、プラザ合意当時数%であったものが20数%まで伸びている。スゥェーデンに倣ってさらにグローバル化を進め、世界の熾烈な競争市場に晒すことが、日本独特の企業文化から逃れる術ではなかろうか。
 これらのことは、企業が努力すべき問題であり、国の産業政策と企業個々の努力に期待
する以外ない。

3) 学ぶべきはスゥェーデンの職業教育
 企業が厳しい競争状況に耐え得るためには、当然プロダクト・イノベーション、営業戦略等本来の経営がなされねばならない。しかし、当然生産性の低い業種、企業が出て来ることになり、比較劣位の企業は、人員整理、倒産等の事態に至る。大企業に於いても、従来のような終身雇用、年功序列の雇用体制を維持できなくなり、労働力移動も激しくなる。
 すなわち、就職して定年まで同一企業、系列企業で職を全うできた時代は終わり、いわゆる多毛作、多重作時代に入らざるを得ない。スゥェーデンも同様の事態におかれ、これをサポートしたのが優れた職業教育であった。

* スゥェーデン教育の特徴は、実学を重んじることである。日本では中学校から大学まで10年間英語を学んでも英会話のできない人が多い。スゥェーデンの公用語はスゥェーデン語であるが、大部分の人が凡その英語を話せる。
* 日本では、医師試験、司法試験等極めて水準の高いものから、比較的容易に取得可能なものまで、200数十の国家資格取得の試験がある。これらはすべて、大学教育、私立の各種学校、通信教育などで学習をしたうえで、筆記試験、実務教育等を経て合格するなど、自前の努力で取得せねばならない。特筆すべきは、スゥェーデンでは大学の職業学位のコースで規定されたプログラムの受講と単位を取得すれば、弁護士ですら資格が得られ、あとは現場での実務経験が重視されることである。
* 一方、地方創生、規制改革と地方への権限移譲、それに伴う独自の財政計画、環境計画、街づくり、地方のIT化、高齢者支援(レベルによる介護の深さ、多様な老人ホームの選択、相続問題、生きがい環境の提供)などなど、地方自治体では今後の社会変化に対応するために、あらゆる分野の人材が不足せざるを得ない。国家資格を有する人材が必要にならざるを得ないのである。これらのことは、もちろん都市部でも発生するが、地方に於いて顕著になろう。
* 更に敷衍すれば、「エイジノミクス」の一端を、「70歳、80歳まで生きがいを感じて仕事をすることによって、経済成長の一助をなし、社会保障費を軽減するにはどうすればよいか」との問題提起に置き換えれば、この職業教育はさらに重要な意味を持つ。
* そこで以下に、わが国の国家資格について詳述するが、日本ではこれらの資格を取得するに際し、民間の養成機関、各種学校で理論の履修と実務経験を積み、試験を受けることになるが、その費用は個人負担になる。またここでも、実務よりペーパーテストの比重が高く、受験者に不必要な負担をかけている。例えば車の運転免許試験で、運転技能はあるが、法規などのペーパーテストで落ちるなど典型的な例である。
* スェーデンでは職業教育、職業訓練に注力しており、失業者に対してもその機会を多様な形で設けている。失業者の再就職訓練では、職業安定庁が学校、非営利組織、民間企業から訓練プログラムを購入し、希望者に提供している。失業手当と職業訓練をリンクさせる(訓練を受けないと手当が出ない)ことにより、効率を上げている。
* 日本でも、訓練の費用まで国が負担しないにしても、可能な限り便宜を与え、先に英会話力の例で挙げたように、より実務を重視した試験にすべきである。「習うより慣れよ」である。
特に重要なことは、国家資格を司る官庁、実際に試験を担当する機関の実務担当者が、スゥェーデンの実態を学びに行くことであり、それをを提言する。
* 最近耳にするのは、高齢者が相続問題に遭遇したとき、弁護士、税理士、宅地建物取引士等複数の事務所を回らねばならないということ。ワンストップ・サービスが求められているのである。自治体と協力して、新しい形のミニ企業が出て欲しい。
* 自治体、市民のIT化への支援などでは、あらゆるレベルの基本情報技術士が、コンピューター・メーカーと組んで、サービス事業会社を作ることが予想される。

付属資料 【日本の国家資格】
 上述したように、わが国には200以上の国家資格がある。これら多くは、「・・・士」、「・・・師」の名称があるが、弁護士、公立学校教師に見られるように、資格取得、業務内容の難易性等には関係ない。受験レベルに達するための学習機会としては、大学、各種学校、通信教育などがある。試験の実施は、国家が直接行うもの、自治体、外部機関に委託するものなど多様である。また多くは、筆記・口述試験、実務経験等が問われる。
 以下に、医師、弁護士のような特に取得が困難な資格を除き、また比較的需要の多い資格を挙げる。
ⅰ 庭園等の造園、手入れ、管理業務
  園芸装飾技能士、造園施工管理技士、造園技能士
   シルバー人材センターでも、個人宅の造園、庭園の手入れ等いわゆる庭師的な仕事の需要が多い。資格は1級~3級とあり、3級の受験資格は実務経験1年以上。定年後に取得している者も多い。
ⅱ 宅地、土地等の測地、売買、管理業務
土地区画整理士、土地家屋調査士、土地改良換地士、宅地建物取引士、不動産鑑定士、
いわゆる町の不動産屋から、国、自治体等の委託事業をこなす専門度の高いものま 
で種々。町の不動産屋的存在の宅地建物取引士は、受験資格に制限は全くない。既存都市内は縄張り争いが厳しいが、都市周辺部、新規開発地がねらい目。事業開始に当たって、新規投資が殆どないので入りやすい。
ⅲ ビル環境衛生管理・運用管理、警備
建築物環境衛生管理技術者(通称、ビル管理士、ビル管理技術者)
 ビルの安全性・衛生・運用管理を行う。受験資格は、収容人員の多い建築物での実務経験2年以上。もしくは大学の理系学部卒業者は、103時間の講習を受講すれば、
資格取得可能。大規模建築物には、資格保有者の選任義務があるので、ビルの増加に伴って需要は極めて大。
ⅳ 食品生産業者・供給業者等の衛生管理を司り、栄養管理面での責任を担当者
栄養士、管理栄養士、食品衛生管理士、
   この資格保持者は高度の専門職で、資格を取得すれば需要は多いが、資格取得に実
務経験など数年を要する。
ⅴ 鍼灸等漢方医療・治療分野
鍼士、灸士、あん摩マッサージ指圧師
   国家資格ではあるが、リラクゼーション店など、無資格者が営業し、有名無実になっている面がある。但し、患者との信頼関係で高収入を得ている個人事業者も少なくない。病院など施設に属する者は別として、一般に収入は少ない。
ⅵ 介護・福祉等の計画、管理、支援分野 
介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、福祉系3大国家資格、総称して介護支援
専門員(ケアマネージャー)とも言う。
資格取得が難しいが、一方賃金が安く、業務内容の過酷さから離職率大。
ⅶ システム系技術者
基本情報技術士、ウエブデザイン技能士
  レベル1から4まである。レベル1は、ITパスポートとも称され、開発技術より利用技術に重きが置かれている。レベル4は、高度情報処理技術者と呼ばれ、システム・アーキテクト、データベースなど9つの専門分野に分かれている。
   レベルによって高度の技能が問われるが、経験者にとっては、レベルアップにより、
売り手市場ともなり得る。今後需要はさらに高まる。
ⅷ 専門知識に基づくコンサルタント系の仕事
  フィナンシアル・プランニング技能士、
   税金、保険、年金等の幅広い知識と視野を持つ金回りの専門家。1級~3級のレベルがあり、実務経験等に応じて受験資格が異なる。民間の講習、講座で合格可能。
中小企業診断士、
 中小企業と行政、金融機関等を繋ぐパイプ役が多い。ベンチャー企業と投資家の間を繋ぐなど、今後その役割は増えるものとみられる。
ⅸ 弁護士、公認会計士に準ずるハイレベルの知的業務
弁理士
特許・意匠登録、実用新案、商標の登録、保護などについて、第三者への助言、代理業務を行う。
  行政書士
   官公庁に提出する複雑な書類の作成提出の代行など。土地家屋調査士、司法書士、社会労務士との兼業、協力が多い。
  司法書士
   登記、供託の手続き、裁判所・検察庁・法務局等に提出する書類の作成、財産管理業務等、準弁護士的性格を持つ。
社会保険労務士 
 当該領域の行政機関へ提出書類の作成、手続き代行、個別労働紛争の当事者代行、企業の労務関係問題へのコンサルティングなどを行う。
税理士
 税務代理、税務書類の作成、税務相談、会計帳簿の記帳、を行う。税理士は、行政書士登録を受ければ、行政書士になれる。
ⅹ 海外観光客の増大に伴う観光事業関連
通訳案内士、



参考資料:スゥェーデン型の「経済を強くする社会保障」を考えよ 
             竹中平蔵 Biz COLLEGE <日経BPnet
     競争社会スゥェーデンに学ぶ 湯本健治 読売新聞 2009.11.6.
「スエーデンの福祉政策」京都産業大学、西条維都子(2009)
「スゥェーデン・パラドックス」湯本健治、佐藤吉宗著 日本経済新聞出版社
posted by jtta at 08:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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